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思い煩いからの解放Ⅲ

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Alexas_Fotos / Pixabay

思い煩い

 様々な自然災害や社会の変化のニュースを聞く時、また、経済的なこと、健康などについて考える時、私たちの心は、不安や恐れを抱いてしまいます。今回は、不安に責め苛まれるような時にどうしたらいいのか、御言葉から学ばせて頂きたいと思います。
「不安」というのは必ずしも全部悪いというのではありません。たとえば、高齢者の運転する車の事故が続けてニュースになりました。本人たちは「そろそろ免許を返納しようかな」と思っていたそうですが、しませんでした。その不安をもうちょっと真剣に受け取って早めに対処していたら、あんな悲しい出来事は起きなかったでしょう。不安があった時、きちんと受け止めて正しく対処することによって、私たちは事故を未然に防ぐことができるのです。
また、私たちが不安を覚える時、心の状態のバランスが不調をきたしていることが原因の場合があります。私たちは「今日は体温が38度ある」とか、「お腹が痛い」とか身体の事は気にするでしょう。ところが、心については、それぐらい気をつけているでしょうか? あまり心の事は考えず心のバランスを崩している時があるのです。元気が出ない、やる気がない、気が乗らない・・・たまにそういうことがあると思います。もしも2週間以上こういう状態が続いているようだったら「このまま放っておくと良くない、何か対処した方がいいかな」と思った方が良いでしょう。
また、「人に会いたくない」と思うことはありませんか? 一日位は誰でもあると思います。これが続くと危険なのです。精神学的にも不安というのは実態のない不安が問題なのだそうです。「あの人がいるから会いたくない」というのは理由にはなりませんが、まだ良い方です。特別な理由がないのに、「もう人と会いたくない」となっていたらこれは要注意です。少し相談したり、いろいろ話を聞いたりすることが必要かも知れません。
更に趣味が楽しくなくなる。パッチワークとか、料理とか、ちっとも魅力を感じなくなってきたらこれもまた要注意です。仕事も勉強も家事等も、今までのように取り組めなくなる。私たちはそういったものを乗り越えていく必要があります。そんな時は早めに対処していけたらよいのです。元気になれないなという時に何が必要か、そのことをお話させて頂きたいと思います。

思い煩いからの解放

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(Ⅰペテロ5:7)

 「神」という言葉を聞いた時、どういったイメージを抱きますか? 優しい方を思い浮かべますか。それとも怖くて自分にお仕置きする方を思い浮かべますか。「お仕置きしたり、厳しい事を要求するばかりの神様だ」という考えでいると「神に委ねなさいと言われても怖くてできない」となりますが、「聖書の神様は、私たちを愛してくださる方だ、受け止めてくださる方だ」と思うと、ちょっと気持ちが楽になると思います。
「神様は私たちの弱さに同情できない方ではありません」と書いてあるのです。神様はあなたのすぐ傍におられて、あなたを慰めたり励ましたりすることができる方なのです。もともと神様には怖い面あります。裁きもあります。ところが、その怖い部分を全部取り除いたものがあるのです。
それが「十字架」です。あなたが怖いと思うのは自分が裁かれると思うからではないですか。いろいろ責められると思うからではないでしょうか。イエス様がそれらを一つ残らず全部十字架に掛かって身に受けてくださったと聖書は語っているのです。ですから、神様は、あなたに対して徹底的に暖かいお方として臨んでくださる方であることを知って頂けたらと思います。神様はあなたのことを気にかけて心配してくださる方ですから、安心して神様にお委ねしてよいのです。

何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
(マタイ6:25~26)

 人と鳥では、どちらが価値があると思いますか。鳥にすら神様が関わってくださっているのですから、私たち一人ひとりに神様が目を留めてくださらないはずはありません。

五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。(ルカ12:6~7)

 当時雀というのは2羽1アサリオンという単位で売られていました。2羽1アサリオンとすると4羽で2アサリオンですが、5羽の雀が2アサリオンで売られているのです。おまけの1羽がついてくる。おまけのような1羽さえ神様の目には忘れられていないというのです。なおのこと神様はあなたのことを覚えておられるのです。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)

 私たちは自分で自分の弱さやダメなところを知っています。「あれができて、これができて、こうだったならば尊ばれて価値がある」と考えるのが普通です。「あれもできない、これもできない、こんな酷い私でも『神の目には高価で尊い』」と語っていることを受け取って頂けたらと思います。神様は、イエス様の十字架で私たちの欠点、悪いところを全部取り除いてくださっているのです。

ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。(Ⅰペテロ5:6)

 「愛の神様だったらどうしてこんな事があるの? 神様が優しいのだったらどうしてあんな事が起こるの?」と思うような悲惨な出来事がたくさんあります。理由が分かる事もあるし、分からない事もありますが、神様はあなたをそのような苦しみから救い出すことができます。
けれども、もしかすると「私は結構です。神様にお願いしなくても大丈夫です。間に合ってますから」と思うかもしれません。私たちにできることは神様の御前にへりくだることです。その時にあなたを高くあげてくださる。神様の前に正直に「こんな私を助けてください」と祈る時に恵みを受けるのです。

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。(ローマ8:31~32)

 神様は、本来ならあなたのために犠牲も何も全く払う必要がありませんでした。人間は自ら罪を犯して滅びの道に向かったのですから、自業自得と言えるでしょう。でも愛は放っておけないのです。ですから神様は、ご自分の御子イエス様を地上に遣わして、私たち皆の罪の問題、罪・咎・汚れというものを全部イエス様に背負わせて全部処理してくださったのです。それが十字架です。今も神様は生きておられて、あなたを慰めたり励ましたりしたいと思っておられるのです。

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ41:10)

この約束の御言葉を何回か繰り返して言うと不思議な力が出てきて「神様が一緒だから大丈夫だ」とちょっとずつ思えてくるようになります。困難があっても何とかなると思えるようになるのです。このような神の恵みに共に歩ませて頂けたらと思います。

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