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感謝の心

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teddy, love, mama

あなたの人生には「感謝」が溢れていますか、それとも呟きや嘆きに満ちているでしょうか。良い人間関係を築きたいと願っておられるならば、「感謝の心」を身に着けることをお勧めしたいと思います。大先輩の牧師の生涯を表す言葉として「感謝の鈴なり」という言葉がありました。重い病の中で彼を診ていたお医者さんが、「顔を見ていると明るく元気そうで正しい診察ができない」と語っていた程です。身体はボロボロでもその牧師の周りには、いつも人だかりができます。気持ちが穏やかになりますし、慰めや励ましを受けるからです。その方は病気の中にあっても、感謝に溢れる生き方をしていたのです。私たちも、是非そのような感謝の心を持つ人にならせて頂きたいと思います。

感謝の心を持つ

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
コロサイ3:15

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
Ⅰテサロニケ5:16-18

苦しいことや辛いことが重なると「感謝することなんてあるだろうか」と思ってしまうかもしれません。しかし、よくよく考えると、実は感謝するべきことがたくさんあるのです。ポリアンナという女の子が主人公の物語があります。父親は牧師で、母親は既に死んでいません。ポリアンナはハムエッグが大好きでした。いつも朝食にハムエッグがつくのですが、ある朝の朝食はパンだけ。ポリアンナが「今日はハムエッグはどうしたの」と文句を言います。父親は「パンが与えられていることは感謝なことではないか。お前はハムと卵が大好きなのだから、いつか必ず与えられる。その時を楽しみに待ったら!」と言うのです。ポリアンナは、今“ない”ということが将来の楽しみになると教えられたのでした。この事を、物語の中では、『良かった探し』と訳しています。原作では「Glad Game(喜びのゲーム)」と書かれています。悲惨な悲しい出来事の中でも、何かしらの喜びを見出すゲームです。卵もハムもずっと与えられ続けていたならば、あって当たり前、感謝とはならないのです。でも、“ない”時があると、与えられる日を楽しみにできるのです。同じ状況でも喜べる訳です。私たちは、物事の捉え方、考え方を変えてみるだけで、随分と生き方が変わります。呟きと文句と不平ばかり言って過ごす人生からは、暗く悲しく寂しい将来しか見えてきません。しかしGlad Game「良かった探し」を始める時に良いことを探しまわる人生が始まり、これが祝福と平和をもたらす秘訣なのです。

ポリアンナが11歳の時に父親も死んでしまいます。その後ポリアンナは、気難しい叔母に引き取られて人生を送ります。孤児となりながらも、「良かった探し」を続けていきます。自分だけでなく「良かった探し」を町の人たちにも勧めると、暗い顔をしていた町の人たちもどんどんと明るくなっていきました。気難し屋の叔母は、人付き合いをあまりしていませんでした。ある日ポリアンナがケガをして歩くことができなくなったことで、町の人たちが「良かった探し」をして自分たちがどんなに前向きになれたのかをポリアンナのところに来て話をしてくれました。たくさんのプレゼントも送られてきました。それらを見て叔母さんも段々と変わっていったのです。そして、ある方の好意で、手術をして再び歩くことができるようにもなりました。

私たちも、同じ出来事の中に、暗い部分を見るか、明るい部分を見るかで大きく違いが出ます。例えば、騒音を「うるさい」と思うでしょうか。「良かった探し」的に捉えると「耳が聞こえて感謝」と考えることができます。「梅雨で鬱陶しい」は「雨の恵みで作物が育つ」と。このようにして、良い所を見つけ出すようにすると、いつしか心もウキウキして、喜んで顔を上げることができるのです。 消極的な言葉を積極的な言葉に変えてくれる「ネガポ辞典」というものがあるそうです。「寂しい」は、「独りの時間がある」と変換する。このように積極的に捉える方法を練習していくのです。反対に嫌なことばかりが頭に残り、辛いことだけが心を占めてくると、当然顔は暗くなり、思いも段々と沈んできます。「今日、何か良かったことはなかったかな?」と考えると、少なくとも1日に1つは良かったことが出てくると思います。何もなかったならば、思い出してみてください。息ができること、食べることができたこと、水が自由に飲めること、考えれば、感謝すべきことが一杯あるのです。私たちは、罪の結果として、自然ではマイナスに考えてしまう傾向が強くなってしまうのです。ですから、意識して「良かったこと」を探すことが大切なのです。

そして、もう1つの秘訣、それはあなたの人生に神様を迎えることです。

感謝の人生を送る秘訣

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。                                                                                                     詩編103:2

この詩篇の作者は「主をほめたたえよ」と自分に言い聞かせています。神様を認めて感謝しなさいと言うことです。身体の不具合で、手足を動かすことができないと大変不便です。私は一時手足が動かなくなってしまったことがありました。幸いまた動くようになったのですが、良くなるとすぐに動かすことのできる幸いを忘れてしまっています。“当たり前”となると、感謝も喜びもなくなってしまうのです。ですから敢えて「感謝(良かった)」を見つけ出し、思い起こすことが大切なのです。「朝起きられて感謝!」「指が動くことを感謝!」「食べ物も与えられて感謝!」「今日も、目が開けられました。フルカラーで物が見えます」などなど感謝を溢れさせることができるのです。小さな事柄ですけれど、こんな風に考える習慣が身につくなら、一日を明るく過ごすことができやすくなるのです。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6-7

朝から「あの問題をどうやって解決しようか」「こういうことになったらどうしよう」と考え始めると、心配がキリなく沸き出てきます。私たちは、これから起こるかもしれないことをどうしようと悩んだり(取り越し苦労)、過ぎてしまったことをクヨクヨ悩み続けたり(過ぎ越し苦労)、わざわざ苦労を背負いこんでしまうのです。思い煩いに陥った時は、神様の前にあなたの願い事を知って頂く(祈る)ことです。皆さんの心の願い、思い煩いを正直に申し上げるのです。その際に、感謝をささげることも忘れないことが大切です。今目の前にあることを感謝する時、その時には嫌だと思っていることすらも、後から振り返ってみると、あれは感謝であったと思えることがたくさんあるのです。実は多くの場合、自分を暗くしているのは自分自身であるのです。「不幸な星の下に生まれた」、「あんな親で、あんな夫で、あんな子供で」と、周りを非難して自分を悲劇の主人公にしてしまうのです。

感謝の人生を送る秘訣は、神様を心に迎え入れることです。神様によって見守られ、御手が支えてくださっているのだということを認め、考え直す時に、「あの苦しみの時にあの友人がいなければ立ち上がれなかった」「あの助けがなければ、今はどうなっていたか分からない」とあなたの人生にも多くの感謝があったことに気づかされるのです。私たちが神様を忘れ、感謝を忘れると、人生は不幸だと思ってしまうのです。でも同じ状況でありながら、片や感謝に溢れ、片や嘆きと呪いの人生になってしまいます。どちらの道もあなたの手の内にあるのです。ぜひ小さい事にも「良かった探し」をして、マイナスと思えることの中にプラスの面を見つけ感謝を捧げる歩みをさせて頂きたいものです。

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