わたし(イエス・キリスト)はあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。ヨハネ14:27
コロナ感染者累計数が400万人を超えました(6月現在では900万人を超えました)。30人に1人の割合で感染していると言えます。インフルエンザや通常の風邪と同じような流行の仕方になってきていることを踏まえて、アフターコロナの備えをしていく必要があるのではないかと思います。無防備でもいけないし、しかしあまりにも恐れ過ぎてもいけません。このような病に対して一番良い対処は「免疫力」を高めることだそうです。免疫力は食事や運動でも上がりますが、心の平安や安定によってこそホルモンや内分泌などの有益な物質が出て、免疫力を高めることに役立つそうです。本日は、心の安定という意味において、免疫力を高めていく秘訣を学びたいと思います。
心の平安を持つには
私達はいつも平安でいたいのに、平安を保つことは大変難しいのです。どうしたら平安を与えられて歩む事ができるのでしょうか。別な言い方をすると、平安がなくなるのは何故なのでしょうか。
「悪しき者には平安がない。」主はそう言われる。イザヤ48:22
心にやましい思いがある時、私たちの心は動揺しがちになります。実は私たちが免疫力を上げる方法は、心にやましさを抱えない事なのです。それは間違った事を行わないという事です。しかし私たちは、どんなに正しく行っていると思っていても完全に正しい人にはなれないでしょう。ですから、
もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちには真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。 Ⅰヨハネ1:8-9
自分の心に闇があるならば、それを正直に認めることが大切なのです。神様は正直に認める者を「何故そんなことをしたのか」と責めることはなさいません。自分の正しさを主張するのではなく、愚かさや間違いを認め、罪責感、罪悪感を感じたらすぐに「神様、そういうことがありました」と告白してみましょう。不思議なことですが、段々と気持ちが楽になっていくと思います。
心に(キリストの)血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられて、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。 へブル10:22-23
罪責感や罪悪感を感じるのは、私たちに「良心」があるからです。しかし「良心」は良い方向に働く時もあれば、悪い方向に働く時もあることを知って頂きたいと思います。ある方が、「良心というものは、尖った三角形が心の中でぐるぐる回るようだ」と表現しました。罪責感が出て来ると心の中で三角形が回り始めるのです。先が尖っていますから、回ればチクチクと痛みを感じます。しかしこれが回り続けると、やがては先端が摩耗して丸みを帯びてきて、痛みを感じることもなくなります。それでも何となく後ろめたさを感じていますから、堂々と生きられなくなってしまいます。こういう部分も含めて全て洗い聖めて下さるのがイエス様の十字架の血潮なのです。実際に行った罪だけでなく、心の中で思った様々な悪い思い、悪い心、後ろめたい気持ちさえも聖めて下さるのです。イエス様の十字架の故に「あなたの罪は赦された」と語って下さるイエス様の言葉を信じ受け取って頂ければと思います。これにより心に本当の平安が少しずつ広がる経験をされるでしょう。
思い煩い・恨み・憎しみからの解放
自己免疫力を低下させるもう一つの原因が思い煩いです。
神よ 私を探り 私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに、傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。 詩編139:23-24
私たちは自分を知っているようで、案外分かっていません。自分がどこで傷ついたのか、何をしたのか忘れてしまっているのです。しかしいつも思い煩いに悩まされているとしたら、神様によって解決に向かわせて頂く必要が心の奥に潜んでいるのではないでしょうか。そういう意味で思い煩いから解放されることは非常に大切です。祈って自分が何で傷ついているのかを神様に教えて頂きましょう。「苦しみの原因、イラつきの理由を教えて下さい」と素直に祈ることをお勧めします。
何も思い業らわないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 ピリピ4:6-7
私たちが思い煩っていることは全て神様がご存じなのです。その悩みを神様に申し上げ、委ねることです。その悩み事を自分だけで解決していこうとする人が多いのですが、それが免疫力を下げていくのです。そうではなく、「こういう事で苦しんでいるのです」「あの事で傷ついているのです」「この事が悲しかったのです」「この事がやりきれないのです」など、どんな気持ちでも正直に神様に告白してお任せしてみるのです。言えば言うほど、心がほっとする経験をされると思います。特に、恨み・憎しみがあったなら、これを処理しておく事はとても大切です。憎しみは私たちの心を縛り、自由を失わせます。喜びを消してしまうのです。このような罪や思い煩いこそ平安な心を持ちにくくさせるのです。自分の正直な気持ちを告白し、さらに一歩進んで、マイナスの心、恨みや憎しみが罪であると告白する時に、気持ちがふっと楽になる経験をされると思います。
しかし私たちは「酷い仕打ちしてきたあの人が憎い、あの人が悪いのだ」と苦しみの原因を他人や環境のせいにしてしまい、憎む心が罪である事を認めたがらないのです。皆さんも、この事だけは赦せないとか、あの人だけは赦せないとか、そういうものを持っているのではないでしょうか。聖書には「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きをおおう」(箴言10:12)とあります。憎んでも何も良い事はありません。憎しみは相手を苦しめるのではなく、あなたを苦しめているのです。しかし、愛は全ての背きを覆うのです。私たちは、憎しみではなく、愛に生きる事が大切なのです。
あなたがたは神に選ば選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかが他の人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらの上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯とし完全です。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。コロサイ3:12-15
私たちが愛の人に変えられる秘訣は、『主(イエス・キリスト)があなたがたを赦してくださったように』です。イエス様は、鞭打たれ、茨の冠を被せられ、悪口雑言を浴びせられてもなお、自分を罵る人たちに対して「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23:34)」と神様に祈りました。この愛(アガペー)は人間が持てる愛ではないのですが、イエス様を信じ受け入れる人には、神様の愛の種が植えられています。『そして、これらすべての上に、愛を着けなさい』とは、頑張って身に着けるのではなく、祈ってごらんなさいということです。そうすると少しずつ、私たちの内に神様の性質が宿り始め、イエス様の平和が私たちの心にやってくるのです。そしてその愛が心を満たし、相手に対しても愛を与える者になって行くことができるのです。皆さんの心が乱れる時、正直に神様の前に祈ってみてください。恨みや憎しみがあるならば、一日も早くそれを告白し神様の力で消し去って頂き、心が不思議にいつも平安に満ちるお互いにされていけたならと願っています。