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争いからの解放

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「平和」は作り出すもの

暑い夏が過ぎ、秋の気配が漂ってきています。しかし世界情勢は混乱の中にあり、ウクライナ情勢は相変わらず不安の中にあります。「戦争」と聞くと、国家間の争いばかり考えますが、私たちの心にも「争い」があるのではないでしょうか。世界における「戦争」がなくならない理由の一つには、私たちの心も関係しているのかもしれません。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。マタイ5:9

平和は良いもので、なくてはならないものですが、実際には、私たちは色々な場所で問題や争い、混乱の中に巻き込まれます。だからこそ聖書は平和をつくる者は幸いですと語るのです。争いがあったのに、あの人が来るとなぜかまとまる。反対に、あの人がいると問題が大きくなってしまう、ということもあります。それは平和というのは、実は一人一人の心の中にあるからなのです。いくら口で「平和、平和」と言っても、その人の心の中に「平和」がなければ平和を作り出すのは難しいのです。

神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。Ⅰコリント7:15

しかし聖書は、私たちは平和を得ることができると語っているのです。そして、それだけではなく私たちが平和を作り出す者になることができると! では、具体的にどうしたらそうなれるのでしょうか。

あなたの舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追い続けよ。詩編34:13

まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。マタイ12:34

私たちは、悪口や噂話を喜んでしまう弱さがあると思いませんか? あの時何故あんなことを言ってしまったのだろうと悔やんでみたり反省しても、また気が付くと同じ過ちをしていることも多いのではないでしょうか。私たちの口から出る悪い言葉は、心に満ちているからだと聖書は言うのです。優しい気持ちの人は優しい言葉が出てきます。イライラしていたり、尖った気持ちがあるならば、それが言葉や態度にも出てきてしまい、言ってはならないことを言ってしまったりするのです。

もしあなたがたの心の中に、苦いねたみや敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。ヤコブ3:14-16

私たちの心の中には悪しき思いが根深く巣くっていると思いませんか? 他人の成功を見て、言葉では「良かったね」と口に出していても、心の中では妬んでいる。表面上は平和な顔をしていても、心の中には苦々しい思いが支配している。このような事が心に起こるのです。この根本を変えて頂かなければ本当の平和を手に入れることは難しいのではないでしょうか。ではどうしたら良いのでしょうか。

もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。Ⅰヨハネ1:9

自分の正直な姿、醜い姿を神様の前に認めることです。「私は今あの人を妬んでいます。恨んでいます。この人が嫌いで仕方がないのです」と罪を認め告白するのです。聖書は私たちが罪を告白する時、その罪はイエス・キリストの身代わりの十字架で、赦されていると言って下さるのです。そして赦されるだけでなく、全ての不義から聖めて下さると語っているのです。自分の中にある醜い姿を認め告白する時、神様によって変わっていくのです。この告白の力を是非体験して頂きたいと思います。

平和を作り出すために必要なのは

実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
エペソ2:14-17

イエス・キリストこそが私たちの心が平和になる秘訣だと宣言しています。敵対している二つのものが和解する。神様にはそういう事ができるのです。自分がイエス様に受け入れられ、赦され愛されている事を私たち自身が信じ受け取る時、他の人の事も受け入れ赦し易くなっていくのです。自分が主によって赦され受け入れられていることが分かる時に、私たちの心にも平和が宿り始めるのです。

こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。ローマ5:1

皆さんが、十字架の赦しの言葉を受け取り、神様が自分を愛し、赦し受け入れて下さっていると信じる時、神様との平和が実現していきます。それはいつしか、自分自身が自分自身を受け入れ、自分との平和・和解が与えられ、それが周りの方々を赦し、愛する力の源泉となっていくのです。

私たちは、自分自身のダメな部分を受け入れられないので、周りの人に対して同じようにダメ出しをし、厳しい目で見てしまい易いのです。ところが神様に受け入れられているということが分かると、周りの人のダメな部分も、自分も赦されているのだからと、弱さも受け入れられるようになるのです。自分が受け入れられていると分かると、罪責感からも解放され、自分自身を責めることも少なくなり、その結果、周りの人に対して優しい気持ちでいられるようになってくるのです。これが神との平和が与えられた結果として生じる平和なのです。色々な問題が生じたとしても、赦す力が働いたならば、多くの場面で和解や赦しがもたらされるでしょう。

反対に、赦す力が持てないと争いが続いていくのです。赦しの源泉は神様です。自分で自分を赦すことはできないのです。しかし神様に告白する時、私たちの中に気持ちの変化が生じて、「こんな私でも赦され愛されている」と感じられるようになるのです。それが周りの方々との関係を良いものへと変えていくのです。日々の生活の中で、イライラすることもあるでしょう。そのような時は、「こういう私のためにイエス様が十字架にかかり、私を赦し愛し受け入れて下さっていることを感謝します」と祈ってみて頂きたいと思います。これが「キリストこそ私たちの平和です」という意味なのです。でも順番を間違えないで下さい。自分から平和を作ろうとするのではなく、まず神様から平和を頂くのです。分かりやすくするために例話でお話ししてみましょう。

皆さんに借金があるとします。取り立て屋が毎日毎日来るので不安と恐れで一杯のあなた。そんなあなたに「あなたがそんなに苦しんでいるのなら、私がそれを肩代わりしてあげましょう」という人が現れて実際支払って下さったらどう感じますか。再び取り立て屋が来た時に、「もう私の借金は完済しました。帰って下さい」と恐れなく断言できるようになるでしょう。イエス様が十字架にかかって下さったのは、そういう事なのです。そして、そのようにしてもらった自分を自覚する時に、私たちも、他の人に優しくなり、赦したり、受け入れたりすることが少ずつできるようになることでしょう。これが神様が私たちに与えようとしている平和の作り方なのです。

聖書には、神様があなたを愛し、赦し受け入れて下さるという言葉が沢山散りばめられています。その言葉を自分の中に受け止めて下さい。その時今までの自分と少し違う気持ちが出てくると思います。でも直ぐに元の自分に戻ってしまうかもしれません。その時には「またやってしまいました」と正直に過ちを告白するのです。何度でも大丈夫です。その度毎に神様が「大丈夫。あなたの罪の身代わりは私が成し遂げたのだから」と言って下さいます。神様の無限の赦しを受け続けていく時、あなたの中に赦す力が強められ、周りの方に寛容になり、平和な関係が築き上げられていくことでしょう。

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