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平安を得る秘訣

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聖書

『聖書』はとても分厚い本です。聖書の一番初めの「創世記」は約三千五百年前に書かれました(日本で一番古い書物と言われている「古事記」や「日本書紀」は、千数百年前と言われています)。三千五百年前からずっと語られてきて現在まで内容が全く変えられていないのです。また、世界で使われてる言語は六千ほどありますが、そのうち聖書は二千数百の言語に翻訳されています。こんなにたくさんの言語に翻訳されている書物は他にありません。しかも世界中で一年間に2億5千万~3億冊(日本では600~700万冊)売られているそうです。聖書は「隠れたベストセラー」と言われます。聖書がどんなに特別な書物であるかが分かって頂けるのではないかと思います。

では、その特別な書物『聖書』が語っていることは何なのでしょうか。簡単に言えば、私たちが幸せになるため、平安になるための道が語られているのです。

罪(的外れ)

わたし(イエス・キリスト)はあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ヨハネ14:27

神様は、私たちに平安を与えるためにイエス様を送ってくださいました。世の中の平安というと、お金を儲けて豊かになることによって得られる平安ですが、それらはいつ状況が変わって無くなってしまうか分かりません。でも神様が与えてくださる平安とはそういうものではないのです。
でも皆さんは、「その割に自分には平安がない」と感じていませんか。

私は自分の咎を言い表します。自分の罪で不安なのです。詩編38:18

私たちは、悪い心になったり、悪い思いが入ってくると罪意識が生じて不安になります。たとえば、ある人を裏切ったとします。そうすると、後ろめたさを感じて、その人に会いたくなくなり、避けようとするでしょう。不安の原因は『罪』にあります。『罪』とは、聖書の原語ギリシャ語では『ハマルティア』と言い、『的外れ』という意味です。私たちは、真っ直ぐに生きたいと思っているのに、ズレて曲がりくねった道を歩んでいるのではないでしょうか。もっと良い人になりたいのに、気がつくと醜い心や汚い言葉が出てきて一体どうなっているのかと感じる。それは私たちが的の外れた人生に入ってしまっているからなのです。ではその「的」とは、何でしょうか。それは神に向かう道です。

天地を創造された神様は、もっとも大切な存在として「人間」を造られました。その人間が神に向かっていくなら人間は幸せになっていくのです。私たちはいつのまにか自分のためだけに生きるようになってしまったのです。他の人はどうでもよく、まず自分が幸せになる。これが「自己中心」の考えです。私たちは皆、自己中心だと思いませんか。これが的の外れた人生という意味なのです。

皆さんがとっても充実感を感じる時や嬉しい時は、どんな時でしょうか。それは自分の言ったことや行ったことが相手に本当に喜ばれ、その人が生きる上で役に立ったということを知ったときに、とても充実感が出てくると思います。「ああ、よかった、あのとき犠牲を払ってよかった」と。私たちが神様や人のために生き始めると、とても充実した生き方ができるのです。自分のためにお金や時間を使い、労力を払うことができるのに、それを人のために使い、実際は自分が損をしていても、誰かの役に立ち、喜んでくれたとわかると心が満たされていくのです。これが神様が造ってくださった人間の本来の姿です。聖書に「神は愛です」と書いてあり、神様は人間を神のかたちに似せて造られたとも書いてあります。ですから、神様と同じように愛に生きる時に私たちは充実してくるのです。私たちは“これを得たら、これだけの貯金ができたら、これだけ物があれば”平安で幸せになると考えますが、それらを追い求めていても、そこには少しも充実感がないのです。逆に「もっともっと欲しい」と、際限のない満たされない思いが強くなっていくのです。一番の問題は、的を外した、神を外した自己中心の生き方なのです。

平安を得る秘訣

神は、実のそのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

わたし(イエス・キリスト)が来たのは、羊がいのちを得るため、それも豊かに得るためです。ヨハネ10:10

神のひとり子であった方がこの世に人間としてお生まれになり、この世に来てくださった。それが「お与えになった」の意味ですが、何のためにでしょうか。「世を愛された」すなわち、私たちを愛されたためです。それは「御子を信じる」だけで、的外れの人生を歩んでいたような者が誰一人として滅びてしまうことはなく、「永遠の命を持つため」なのです。聖書では人間を「羊」に例えることが多くあります。羊はさまよいやすく、目もよく見えず、あまり賢くない。そのような私たちが「豊かな命」を生きるためにイエス様が来られたのです。

わたし(神)自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている ―主のことば―。それは、わざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。エレミヤ29:11

「私には平安がない、希望がない、将来が分からず不安だ」という方は、この御言葉に耳目を留めてくださったら良いと思います。神様はあなたに平安を与える計画を持っておられるのです。これからこの世は滅びていくと聖書に預言されています。もっと酷い天変地異が起こると思います。それを超えて与えられる平安を神様は用意してくださっているということなのです。不安に感じるのは「的外れの生き方」をしているからです。的を外した先はどこに行くのかわかりません。的を当てていく人生に戻る。すなわち、神に向かっていく人生を歩む。その時に私たちは将来と希望が与えられるだけでなく、豊かな命を得ることもできるのです。その道をしっかりと歩んで頂きたいと思います。私たちを造られた神様は、私たちが幸せになるためにイエス様を送ってくださり、人間を不安に駆り立てている「罪」を解決しようとして、キリストの十字架があったのです。

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。Ⅰペテロ2:24

イエス様が十字架にかかって死んでくださったことにより、①罪が赦され、②罪を離れて正しく生きるように変えられていき、③心の傷も癒されるのです。本当に辛い悲しみ、痛みや傷…過去の事は癒されないと私たちは思います。ところがイエス様には癒すことができるのです。自分が癒されたかどうかの見極めは、その事柄で負の感情が出てくるかどうかです。その事を思い出すと苛立ってくるとか、当事者に出会うと怒りがこみ上げてくる場合はまだ癒されてないのです。本当に癒されてくると、出来事自体は覚えていますが、その事でもう何も感じことはなく、平安でいることができるのです。このような恵みを頂くには、的を神様に合わせていくことです。そのために必要なことは、「十字架が私のためだった」と受け取るということなのです。そうすると、その力が皆さん内に注がれ始めるのです。具体的には、恨みや赦せない思いが消え、今までできなかった良き事、良き生き方ができるように変えられていくのです。あなたのうちにも確かに以前と違う自分を味わっていく体験をなさることでしょう。ぜひこの恵みに共に与かって頂けたらと願っています。

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