4月は青葉・若葉が生き生きとしてエネルギーに満ち、元気にさせられるような感じがする季節です。でもこの時期は「木の芽時」とも言われるように、心が少し不安定になったり、落ち込みやすい時期でもあります。今日は落ち込みからどうやって回復していくかを学んでいきたいと思います。
気分が落ち込むとき
悲しいことがあった時に落ち込むのは当然です。でも「悲しくて泣いたら心がすっきりした」という経験を持つ方も多いのではないでしょうか。実は落ち込むことは、必ずしも悪いことではないのです。私たちは、怪我をしたら痛い部分を庇います。同じように、心が傷を受けたらそれを回復させるためのプロセス(過程)がどうしても必要なのです。それが「落ち込み」であると言えます。でも落ち込みには、「注意した方が良い落ち込み」と、「回復のための力になる落ち込み」の2種類あると言われています。次のリストは、あるクリニックの方が作ったものです。落ち込んだ結果として、
・興味を持ったり楽しいと思ったりすることが減った
・イライラして怒りっぽい
・食事療法をしていないのに体重が減る
・体重が増える
・眠れない
・眠りすぎる
・落ち着きがない
・動作やしゃべり方がゆっくりになる
・疲労感や気力の減退
・思考力や集中力が落ちて、物事が決められない
・自分に価値がないと思う
・自分を過剰に攻めてしまう
・死について繰り返し考えてしまう。
この中で4つまでは正常ですが、もし5つ以上該当し続けるようなら、良くない影響があるので注意しなければいけないそうです。
コーピング(ストレスに対処する)
落ち込みの原因となるストレスに対処することを“コーピング”と言います。皆さんはストレス解消法として具体的にどんな事をしていますか。たとえば、散歩をしたり、友人とおしゃべりしたり…人それぞれにちょうどいいコーピング方法があるようです。リラックスできて気分転換ができるものを用意しておくと良いでしょう。現代はストレス社会です。テレビをつけると「こんなひどい事があった、あんな事があった」と、もうこれだけでストレスがかかっているのです。
でも私たちはその事にあまり気づいていません。「ストレスがかかっていた、心が傷ついていた」ことに気がつくと、それにどう対処したらよいかを考えることができるようになります。では、私たちがストレス状態に陥ったとき、どのようにしてそれを乗り越えていくかということを聖書から学びたいと思います。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6-7
第一番のコーピング、ストレスから抜け出る方法は「祈り」です。何かストレスを感じたときは祈ることをお勧めします。
「私はクリスチャンじゃないから祈ることはできない」という方がおられると思いますが、普通の社会でも「お祈りしています」という言葉を使っているように、誰でも祈り心をもっているのです。「まだよくわからないけど、もし神がおられるなら…」と祈るので良いのです。そして、「感謝をもって」です。問題が起きているときに「感謝をもって」と言われると困ってしまうかもしれませんが、まずは今まで生かされてきたことを感謝するのはどうでしょうか。赤ん坊の自分を世話してくれる方がいて、食べる物も住む家も与えられてきました。
厳しいことがあったかもしれませんが、それでも私たちは生かされてきたのです。「ああ、あれもこれも…」と、感謝の心を持ち始めることです。
次に「祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」とあります。自分の願いを「こうであってほしい、ああしてほしい」など、事細かく祈ったらよいのです。そして「あの時はほんとに辛かったです、悲しかったんです」と、自分の気持ちを正直に打ち明けるかのようにお話(祈り)していくと、自分の思いが整理されて心がすっきりしてくるのです。
そして私たちが本当はいつも求めているもの、すなわち「心の平安」を与えてくださると言っているのです。「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ですから正直に自分の願い事を神様に申し上げることです。
「こんなこと言ったら失礼だから」と考える必要はありません。神様は、どんな心の広い人よりも、もっと心が広い方です。あなたのどんな言葉も、どんな思いも受け止めてくださる方なのです。ですから安心して自分の気持ち、イライラする気持ち、怒る気持ちを申し上げてくださったらと思います。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねさない。神があなたがたのことを心配してくださるからです。Ⅰペテロ5:7
神様があなたのことを心配してくださるというのです。しかし私たちは、なかなか神様にゆだねてお任せすることができません。実は、神様にお任せすることを一番妨げているのは「自分」なのです。自分しか頼れない、すなわち神様を信頼できない心なのです。「神様に任せるよりも自分でやったほうが安心だ、安全だ、そっちのほうがいい」という思いが抜けないので「本当に神様に任せて大丈夫なのか?」と怖くなるのです。私たちに足りないのは、「神様は、どんな事でもできる全知全能の方だ」ということを信じる信仰です。実は、人間が持つ罪の中で、神様のわざを妨げている一番大きな罪は「不信仰」という罪なのです。
また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。エペソ1:19
神様は信じる者に御力を現わしてくださる方です。神様は大能の力をもっておられます。それはどのように働くのかといいますと、信じる者を通して働くと聖書は語っているのです。神様を信頼する、そのことを神様は一番喜んでくださいます。本気になってこの神様を求めて信じていく時に不思議な経験をした人はたくさんいます。私が神学生だったとき、友人が翌日に教会で説教をしなければなりませんでした。ところが、風邪で38.5度以上の熱が出てフラフラして何の準備もできない状態でした。そこで「神様はいやしてくださる方だ」と素直に信じて共に祈りました。その友人は祈る5分前に熱を測っていたのですが、二人で祈った後、すぐに平熱になり体調がよくなったのです。偶然とは言い難く、「信じるなら神様が本当に御力を現わしてくださるんだなぁ」と思ったことでした。
聖書には「信じます。不信仰な私をお助けください。」という祈りが記されています。この言葉は私たちを励ましてくれます。神様は、こんな祈りでも聞いてくださるのです。
もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。Ⅰヨハネ1:9
もしこの素晴らしい神様の約束をしっかり受け取られるなら、本当に神様の奇蹟を味わっていくことができると思います。「私は神様を信じていませんでした。信頼していませんでした。疑っていました。ごめんなさい」と、正直に告白すればよいのです。「神は真実で正しい方ですから」というのは十字架をお忘れにならないからという意味です。二千年前に罪のないイエス様が十字架にかかって死なれたのは、私たちの身代わりとなって、その罪を赦すためでした。ですから「私は不信仰でした、意地悪でした、人を恨んでいました、妬んでいました」など、何でも正直に自分の罪を認め告白するなら、神様は赦し、解放して自由にしてくださるのです。イエス・キリストによる罪の赦しと平安を頂くことは、あらゆるストレスに対処していく道です。自分で何とかしようとするのではなく、神様に信頼してお任せすることです。安心して忘れてしまってもよいのです。気が付いたら解決していた、乗り越えていた、そういう事柄がたくさん出てくることでしょう。神様に祈ってお任せしていく。ぜひこれをなさってくださって心に平安を頂くことができたらと願っています。