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弱い者が強くされ

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onefox / Pixabay

「山谷の母」

東京の北千住の山谷にドヤ街があります。そこは安く泊まれる所です。「宿」を反対から読んで「ドヤ」と言い、いわゆる日雇労務者、ホームレスたちが多くいる場所です。今日はそこに行かれた女性牧師、愛の伝道師「森本春子さん」の話をさせて頂きます。ドヤ街には女性もいますが、多くは男性でありちょっと怖いのですが、そこに行って「神は愛です」「信じれば救われます」といつも絶叫していたそうです。
時には酔っ払った男性を張り飛ばすことがあるそうです。ですから森本春子さんは、よっぽど怖い女親分みたいな方のように思うかもしれませんが、実は凄く臆病で小さい時は夜も一人でトイレに行けなかったそうです。ところが彼女は神様に出会って変えられたのです。
そのきっかけは、5歳の時から教会学校に行き始め「神様はいつでもどこでも、どんな時でも守って下さる方、助けて下さる方」という風に思えるようになってからです。
それで何があってもすぐ「神様」と言ってお祈りするようになった。では順調なクリスチャンとして歩んだのかと言いますと、実は両親が離婚して、義母から典型的な意地悪を徹底して受けたのです。体のあちこちがミミズ腫れ、鞭打たれたり、いろいろな仕事をさせられました。
冬の寒い日に外で洗濯をさせられ、やっと終わって洗濯物を持ってくると、わざわざ溝の泥水に投げられてやり直し。滅茶苦茶な事をずっとされたのです。でもどういうわけかそのお義母さんを憎む気持ちにならなかったそうです。「神様がいつも一緒、私を守って下さる。」という考えがあったからです。ですから春子ちゃんが怒っている顔を見たことがないというのが当時の周りの人の評判だったのです。
そのお義母さんは韓国の方で、春子さんも韓国に連れて行かれて結婚する事になりました。「初めて会う人と結婚なんてとんでもない。」と思い「神様、どうしましょう。」とお祈りすると「行きなさい。」と思わされて、相手のことも何も分からないで結婚したそうです。彼女は「クリスチャンの医者であること」を願いました。相手の方は、中国の大富豪で、しかも医者でした。
彼女の祈りが全部叶えられていたのです。幸せな結婚をしたように思うのですが、その後朝鮮戦争で無一文になり日本に帰国し、とても貧しい生活の中で病気になったご主人の世話が大変だったようです。排便する力もなく春子さんが手でかき出したりなど、徹底的にお世話して、一時期「私は何故こんなに苦しい事ばかりあるんでしょうか。」と神様に言ったりしていたのですが、こういった事柄の一つ一つが後に山谷で仕えて行くための備えだったのです。彼女の言葉を読みます。

『私が山谷につかわされたのは、またたく星がキラキラと光る、すばらしい夜のことでした。南千住の駅前に降りて、空を仰いだ時には、澄み渡った夜空にきらめく星を見ながら、本当に神の天地創造のうるわしさに見とれてしまったのです。それを見ていたら、自分が何だか吸い込まれそうになってしまって、「えーっ」と思ってしまったのです。しかし、現実の厳しさの中に飛び込んでいく時間は容赦なくやって来ます。ついにその時間が来て、私は山谷に行く踏切を渡ったのです。その時でした。
皆さん、私の目に映ったのは、それまでの私の想像を絶するような、初めて目にする光景でした。2月の、骨まで凍るような寒さの中で、沢山の人があちらこちらに血みどろになって倒れていたのです。私はもうびっくりしてしました。そして「わあ、どうしたの」と走っていったのです。「おじさん、おじさん、どうしたの」「うっ」と振り向いた顔が血だらけだったのです。「うわあ、もう、ダメダメ」私はそう思いました。お酒の臭いがぶわーっとしたのです。
その時、私は、「あーっ、この人はアル中なのだ」と思ったのです。それからあたりを見ると、あちらこちらに70~80名の人が横たわっていました。そうして歩いていくと、私の目の前にゴミの山がありました。そこを通りかかったら、ゴミだと思っていたそのものが、なんと起き上がってきたのですよ。よく見ると、それは一人の女の人でした。顔が大きく、目はつり上がり、口はへの字になっていました。すると、彼女は起き上がって、「わたしの人生、どうして血だらけなの。ねえ」こういうのですね。それを聞いたとたん、いやあ、私はもう驚きのあまり、息が詰まってしまいました。
私は、その時、その人たちの姿の中に、人間の原罪の深さをいやというほど知ったのです。この罪の泥沼の中に落ち込んでしまって、アル中になり、麻薬中毒になり、はい上がりたくてもはい上がることができない。一度そこに入ったら最後、深みまでどっぷり浸かってしまって、はい上がることがどうしてもできないのです。彼らのその姿を見たとき、人間の原罪の深さが、私の骨の髄にまで、鋭く深く刻み込まれてしまったのです。私は、彼らを救うのに、自分がなんと無能であり無力であるかを思い知らされたのです。
私は、思わず主の御前に叫びました。「主よ。助けてください。あなたが十字架にかかられたのは、彼らの罪を赦すためではなかったのですか。主よ、どうぞ彼らをあわれんで助けてください。救ってください」。それから突然、私は気が狂ったように叫んだのであります。「主よ、私に聖霊の力をください」そのときでした。
驚くべきことに、天から熱いお湯を頭のてっぺんめがけて「ワッー」と注がれたような気がしました。その、どうにも言い様のないものが、私の頭のてっぺんから手の指先、足の指先まで、瞬間的にじーんと浸透したのですね。いやあ。みなさん、かつて経験したことのないような、驚くばかりの、神様の炎のような愛の怒涛が、私を押し流すかのように押し迫ってきたのです。私はもう、気が狂ったように聖書と聖歌とを持って、叫びだしたのです。そして私は、歩きながら、横たわっている一人ひとりに触れていったのです。「神は愛なり。キリストは救い主なり。汝らキリストを信じなさい。そうすれば救われますよ」と夢中で叫んでいたのです。』

彼女は決して元々強い人ではありませんでしたが、神様にふれた時に変わったのです。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)

ある程度年数を重ねてくれば「もう自分は変わりっこない」そう思いますよね。でも人は《だれでも》変わることができるとはっきり聖書は言っているのです。彼女が山谷に行ったのは26年前ですからもう89歳なのですが、まだ牧師として頑張っておられます。炊き出しもします。炊き出しをすると三、四千人が集まるそうです。
彼女が神の愛を語り続けて行く時に、ただ炊き出しのために来ていた人がポツポツと神様を信じるようになって来たのです。神様に一番縁遠いと思われているような、そういう人たちが次々と神様を信じるようになり、今では、あの山谷の地で千人の人が礼拝をします。たった一人の捨て身の行動が、山谷の地域柄を人情味ある地へとどんどん変えていったのです。

神の力を体験するには

森本さんは不思議に自分をいじめた義母を憎まず、最後にはこのお義母さんに仕えるのです。お義母さんが暴漢から刺された事が分かった時、駆けつけました。天に召されるお義母さんが「あなたは『春子ちゃん』と皆に可愛がられていた。本当にいい子だったんだよ。でも私はあなたに本当に悪い事をしたねぇ。」と優しい言葉で彼女に語りかけて下さったのだそうです。そんな事が出来るのはどうしてですか。本当に義母を赦していたからです。それは人間の力ではありません。神様が彼女にそういう力を下さったからなのです。

あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。(イザヤ40:28~31)

あなたは疲れていませんか。その人には力が与えられると言っています。春子さんのように事あるごとに神様に求めたらよいのです。すぐに応えられたように思えなくても、なお神様を待ち望んでいく時に、新しい生き方や考え方が開かれてくるのです。この道を共に踏み出して行けたらと思います。

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