1998年12月13日 日曜礼拝メッセージ
新約聖書ルカによる福音書2章15〜20節牧師 吉田耕三
今日はアドベントの第3週であります。今日は共に、「羊飼いと天使」というところから、ご一緒に学ばせていただきたいと思います。御使いの存在
皆さんは、「御使い」というものの存在を信じておられますか?聖書のあちこちに御使いのことが記されているのはご存じかもしれませんが、実際の話となると「まぁ、そこら辺はおとぎ話のような存在だ」と、軽く流していることが多いのではないでしょうか。しかし、聖書を見回しますと、天使や御使いの存在があちこちで出てくるわけです。今日のこの箇所も、天使の存在無しには何も起こらないのではないかと思うほど、明確に聖書は語っているわけです。私たちはまず第一に、「天使というものがいる」ということを知る必要があると思います。
詩篇の91篇を開けて見て下さい。一体御使いはどのようなことをするのか、ということが書かれているのですが、11節を見て下さい。「まことに主は、あなたのために、御使い達に命じて、すべての道であなたを守るようにされる。」とあります。もう一カ所、詩篇34篇7節「主の使いは、主を恐れる者のまわりに陣を張り、彼らを助け出される。」
御使いというのは、私たちを守るために使わされている、私たちのまわりにいる、ということを聖書は明確に語っている。このことを信じることは私たちの信仰生活においても非常に大きな意味があるのではないかと思うのです。
こう言われてもなかなか信じられない方が多いと思われますので、いくつか例をお話ししましょう。ジョン・G・ペートンという宣教師の人がいました。この人はニューファブリデス諸島というところに遣わされていたのですが、彼らの宣教基地の周りじゅうを現地人が取り囲んで夜襲を仕掛けようとしたことがあったそうです。彼らは家に火をつけて、火から逃げようと家を出てきたところを殺す、そのような手口をとっていたそうです。
宣教師夫婦は一睡もせずに、必死で「私たちを守って下さい」と祈りました。次の日の朝、目を覚ましてみますと、もうその敵が誰もいない。実は、後の日になってその地の人々がクリスチャンになったのですが、そのときに彼らに聞いたのです。「なんであなたがたはあの日襲ってこなかったのですか」と言いましたら、彼らの方から言われたそうです。「じゃあ、あなたがたを取り囲んでいた人たちは誰だったのですか」と。彼らは真っ白な、輝くような衣を着た背の高い巨人が、抜き身の剣を持って、もうたくさんの人があなたがたを取り囲んでいたので、怖くなってもう攻撃することができなかったのだと、そう語ったそうです。
あるいは、ペルシャで聖書を売り歩くコールポーターという職業の人があるとき「どこの許可をもって売り歩いているんだ」と言われたとき、自分が聖書販売の許可を得ていることを説明すると、そのひとは「だったら、何でおまえはいつも兵隊を連れ歩いているんだ」と言う。彼は一人でした。でもその人は彼に付き添っている兵隊を恐れて攻撃することができなかったと、そう言ったそうです。
偶然といえば、偶然かもしれません。しかし、もしかすると一つ一つが、そこに確かに御使いがいたのかもしれないという証拠とも言えるのではないでしょうか。エリシャという預言者は「恐れるな。私たちと共にいる者は彼らよりも多いのだから」と言ってイスラエル人を励ましました。そして神様に、「彼らの目を開けて下さい、そのことが分かるようにして下さい」と祈りました。
私たちは肉の目しかないので、私たちを覆っている力を見ることができない。しかし聖書を見るときに、私たちが感じていようがいまいが、神様の大いなる守りがあるのだということを感じずにはいられないわけです。羊飼いに現れた天使
そのような御使いが羊飼いに現れた、というのが今日の聖書の箇所であります。羊飼いは1年のほとんどを屋外で過ごすのですが、日本みたいに明るければともかく、何にもない真っ暗な中で夜番をする。どうでしょうか。ものすごく寒い、しかも明かりもなく、あるのは星の光だけであります。とっても寂しく、不安に恐れる、そういうただ中にあった羊飼いでした。と、突然御使いがまばゆいばかりの光と共に現れました。「恐れることはない」彼は言いましたが、恐れるなっていったって恐れてしまいますよね(笑)。御使いは続けてキリストの誕生を知らせました。ユダヤには律法学者や祭司長など、いわゆる神様によく仕えているという人々がたくさんいました。しかし、そのような人ではなく、もしかすると日曜の礼拝にも出れなかったかもしれない羊飼いのところにまずその知らせが届いた。何という驚くべき事でしょうか!権力のある者ではなく、本当に弱い、無学の唯人たる羊飼い達に、「全世界への救い」が語られたのです。
さて、このときに羊飼い達はどうしたでしょうか。
「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」
とあります。さて、神様はなぜ羊飼い達に知らせたのか。一つの理由は、かれらのこの「素直に従う」信仰にあるのではないかと思います。彼らは天使を見て驚いたけれども、それにとどめなかった。明日の仕事に差し支えるかもしれないけれども、とにかく、見に行った。この信仰であります。
神がともにいて下さる
さて、私たちはこのところからどんなことを学ぶことが出来るでしょうか。一つには、「御使いが確かにおられる」ということです。神様は私たちの気づかないところで助けて下さっている。私たちはそのことを受け止めるときに、「あぁ、わたしを守る者が主をおそれる者のまわりにいるのだ」と感じることができるのです。どうですか皆さん。信じていましたか。正直言って、私は聞いていたはずですが忘れていました。思い起こしましょう。神様はそのように私たちと主におられるのだと。私たちには「あれができない、これができない、わたしはこういう者だ」と思いますが、関係ない!ですね。もしあなたが本当に神に従おうとしているなら、神様はあなたのすぐそばに来て下さいますし、またあなたを助け、あなたに伴って下さる。このことを共に覚えたいですね。
ルカ11章27〜28節を開いて見ましょう。
「イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。『あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。』しかし、イエスは言われた。『いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。』」
イエス様は本当に幸いなのはことばをきいて、それを守る、実践するひとだと言われました。羊飼い達も、天使の知らせを聞いて行動した、それを神様は喜ばれたのです。今日メッセージを聞いて、「あぁ良かったなぁ」と思う。しかし皆さんどうですか。95パーセントはそれに留まってしまうのではないでしょうか。本気になって神のみことばに従う、そのところに神様は働いて下さるのです。
クリスマス、それは神様の良き知らせを告げるそのようなときではないでしょうか。私たちも、この喜びを周りの人に伝えていく、そのような働きをしていきましょう。