「信仰の原点」

1999年10月10日 日曜礼拝メッセージ
旧約聖書創世記35章1〜15節
牧師 吉田耕三

私達の信仰生活は何でも順調に進んでいくというよりは、むしろ色々な状況に出会う事の方が多いわけであります。具体的には、前回のお話しの様に、自分の欲のままに歩んでいった結果として様々な問題に取り囲まれてしまうようになるのです。そういう中で神は私達にもう一度神の元に近づきなさいと語って下さっています。

神の恵みからのズレ

「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです」第1ペテロ1章5節

救いは一方的な恵みでありますが、私達がどのように成長していくかは私達がどのように神に向かっていくかであります。もし私達が自分の欲のままに歩んでいくなら、その恵みからズレていってしまうという事も有り得る訳です。神は私達が立派であるとか私達が何か素晴らしいものがあるから何かを恵んでくださるのではありません。私達は神の約束のゆえに様々な祝福や恵みを頂く事ができるのです。

ズレの修正−神の初めの愛へ

「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう」黙示録2章4〜5節

神は私達にいつでも初めの愛にとどまっていなさいと語っている訳であります。皆さんの中に初めの愛が本当に燃えていますか?神によって赦された、神によって愛された、という思いが本当に心の中に燃えていますか?本当に神に従っていきたいという気持ちが今皆さんの心の中にあるでしょうか?

私達も知らず知らずのうちに自分の中に様々な、いわゆる偶像(自分の経験やプライドであるとか)というものをくっつけてしまう事があるのです。聖書には「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられます」

と書いてあります。しかし、私達は神様以上にはなっていないかもしれないが、神と同じ位の位置になっている偶像が結構あるかもしれません。「これ位いいや」と偶像をそのままにしてしまっているのではないでしょうか?私達が神との正常な関係を再び回復するのに必要な事は、私達の中に潜むこれらの偶像的な物を取り除いていく事です。神の前に自分の中の問題・罪を悔い改め、自らの歩みを整えることが必要です。

私達は神に悔い改めるべき事をまず悔い改める。『本当に主よ、私はこの点で間違っていました』と悔い改める時に神の祝福が注がれていくのであります。

もし私達が信仰の原点に返らないならば、いつの間にか傲慢になり、いつの間にか思い上がり、自分勝手な道に進んでいく危険性があるのです。私達は神の前にへりくだって歩み、いつでも信仰の原点に戻る事が大切である事を教えられていきたいと思います。しかし、私達が神様から少しズレてしまった時には、どうしたら良いのでしょうか。

神の声を聞く

私達は神から離れてしまう(神の道からズレる)事がしばしばありますが、そのときに大切なのは御言葉に返ってくる事ではないかと思います。神から離れてしまったら、もう一度神が呼びかけてくださっている御言葉に返ってくる時に、『ハッ』と思いおこす事が出来ます。

例をあげると、人から何か嫌な事を言われたり、されたりすると「なぜこんな仕打ちをされるのか?」とか、「あの人が悪いから、この人が悪いから」と一生懸命他人を責めるのですが、その様な時にフッと御言葉が思い浮かんで来て、『赦しあいなさい』とか『愛しあいなさい』と示されます。

そしてそのような御言葉が出てくるまで、私達は『赦す』とか『愛しあう』というその事すら忘れているのです。御言葉が出てくる時に、「あっ、そうだった!」と立ち返ることが出来る訳です。神は私達をもう一度正しい道に立ち返らせる為に御声をかけて下さるのです。

御言葉は私達を悔い改めに導くのです。

聖書の御言葉を読む時に私達は悔い改めに導かれます。更に、御言葉にふれる時に私達が神の道からズレているという事も示されるのです。私達はいつも御言葉に聞くという姿勢を忘れないようにしていきたいものです。御言葉に常に教えられていく者でありましょう。御言葉に照らされていく時に、私達の中で処理しなければならない問題に気付かされていくのです。

神の御言葉の前に出なければ、自分が悔い改めなければならないという事さえも分からないでいるのです。しかし神の御言葉にふれていく時に自分の中に足りなかったもの、例えば愛が足りなかった、配慮が足りなかった、或いは、自分の中に巣食ってしまった傲慢やプライド等々に気付かされるのであります。私達はプライドなどの様々な物を脱ぎ捨てていく必要がある。

そうでなければ私達は神の前に出る事が出来ないのです。私達に必要なのは、神の前に自らを悔い改めていく事。神の前に自らの姿勢をきちんとする事。そうすれば、神が事を成してくださる。神の方法において勝利をもたらして下さるのです。

主の前に再び

「主に求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば主は哀れんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから」イザヤ55章6〜7節

何度、失敗しても、もう一度神の前に立ち返った時に再び祝福の約束を頂く事ができます。私達はいつでも神の前に立ち返ってくればよいのです。もう私はだめだという事は決してないのです。神は私達に7を70倍するまで赦しなさいと言いました。その様に言って下さる方は私達を700を70倍でも700倍でも赦してくださる方です。私達は『主よ憐れんでください。私は本当に愚かで、あなたに逆らいズレてしまうものです。』と祈る事が必要なのではないでしょうか。

どんなに心や行動や思いが神から離れたとしても、私達を憐れんで下さいと祈るなら神は豊かに赦してくださるという事を覚えて頂きたいのです。そして、もう一度神に捧げる信仰に立たせていただく必要があるのではないでしょうか?

繰り返しますがあなたの心の内で神に対する愛が燃えていますか?人々に対する愛が燃えていますか?もしそうでないならばあなたももう一度信仰の原点に返る必要があります。あなたに捨てなければならない罪や偶像がないでしょうか?それを主にささげ、もう一度主に従う決意を共にしていきたいと思います。神はその一人一人を通して豊かにあなたを祝福の基として下さる。これが神の約束です。この約束を頂いていくお互いにされていきたいと思います