「信仰にとどまる」

この記事は約6分で読めます。

1999年10月17日 日曜礼拝メッセージ
旧約聖書創世記35章16〜29節
牧師 吉田耕三

私達は神様という方をを、「キリストを信じれば、苦しみ等はなくなり、全て順調になるのではないか、そうしてくれるのではないか?」と、そう思う事もあるのではないかと思います。しかし聖書はそうは言っていないのです。今日読みます聖書の箇所を通してみても、何故こんな事がと思える事が次々と起こってくるわけです。

神様を信じれば、悲しみが無くなってしまうのではない、苦しみが無くなってしまうのではない、それは確かにあるのです。でもそこから神様が私達に、何を教えようとされているのかを学ぶ必要が私達にはあるのです。

神様の守り

詩篇91編には神様に信頼する者を神様は守ってくださる、神様を住まいとしたものを、神様は守ってくださるという教えが書いてあります。しかし、これは神様は確かに私達を守っては下さるのですが、神様に宿っている限りにおいてと言う部分があるかと思います。

神に信頼し、神の中に宿っているなら、神様の守りの中に置かれる訳です。いかなる事があろうとも神様の守りの中に置かれるのです。しかし神様の守りのなかから少し出てしまえば、そこには困難がやってくるのです。キリストは弟子達に『あなた方を世に遣わすのは、狼の中に羊を送るようなものだ』

と言いました。多くの苦しみや困難にぶつかるのです。神様に守られていなければ、私達は傷だらけになってしまうのです。神様に守られている時こそ、私達は様々な苦しみや困難があっても、それを乗り越えて行く事が出来る訳ですが、そこからズレて、迷い出ますと困難に出遭ってもそれを乗り越える事ができない訳です。ですから、神様の内にとどまると言う事がどんなに大切な事かを覚えたいのであります。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネ15章5節

私達は神様にとどまっている限りにおいて、豊かな実を結ぶ事ができる。でも神様から離れて自分勝手な道にすすんでいくならば、豊かな実は決して結ばれる事はないのです。本当に神様と心を一つにして神様に従っているときに限り、様々な問題の中にあっても神様が処理をしてくださるのであります。私達も本当に主にとどまり、主に従う者となるのか、自分勝手な道に歩む者となるのか?今ここでもう一度考えていきたいのであります。

悲しみの中での訓練

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になるとこれによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12章11節

神様は私達が出遭う様々な問題を通して私達自身を訓練されているのであります。私も偉そうな顔をしているかもしれませんが、神様の試験では何時も落第であります。いろいろな事をチャレンジされても、本当に神様が願っている事とは違う事ばかりをしている事が多いのでありますけれども、でも神様はそのような事柄一つ一つ通して、私達を訓練しているのです。

皆様が出遭う様々な嫌なこと、例えそれが皆様自身の問題から出てきた事であっても、皆さんの弱さや罪や色々な結果として、困難や、苦しみにあったとしても、なお神はその中で私達を訓練していると言う事を覚えておいてください。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になるとこれによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」というのです。

出来れば、クリスチャンになって以来、何も問題なく、「全てがハッピーでハレルヤです!」と言いたいところでありますが、現実には、人生の中には確かに『神様感謝します』と喜びに溢れる事もありますが、「何故こんな嫌な事ばかり起こるのであろう?」という事も結構あります。

でも神様はそこで私達を離れたのではない、見捨てたのではなく、そこで導いておられる。直ぐに問題が解決する事はないかもしれない、しかし神様は徐々に徐々に私達を養ってくださっている。

今皆様は色々な弱さを持っているかもしれません。「何故私が…」とか「何故こんな状態に…」と思うかもしれません。でもそのあなたを神様は祝福し、祝福の基とせんが為に今なお訓練の中に置かれているいう事を覚えていただきたいのです。では具体的にどのようなことをすれば良いのでしょうか?

神様の御声を聞く

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3章5〜6節聖書は、「心を尽くして主に拠り頼め」と言っています。どうでしょうか?皆様の歩む道にどれくらい神様をお迎えしているでしょうか?例えば、「わたしはあなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう」詩篇32章8節

神様は神を求める者に対して、悟りを与え行くべき道を教えようと語っていてくださるのです。他の誰でもない、あなたに対して行くべき道を教えてくださるのです。導きの仕方は色々ですね。一人一人導き方は違いますが、しかし一人一人に行くべき道を教えようと語ってくださる。私達は本当にそれを求めているでしょうか?イザヤ30章21節には、

「あなたが右にゆくにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』という声を聞く」

とあります。私達はどれだけ生活の中に神様を求める心があるでしょう?生活の中に『神様どうすればよいですか?』『神様、導いてください』と色々な折りに祈る習慣。最初は全然分からないかもしれませんけれども、神様をあらゆる場所おいてに求めては如何でしょうか?「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ」とあります。私達の生活の中に主を認め、その主に拠り頼んでいく者となっていきたいのであります。

そして第2番目には、私達は様々な出来事の中で、自分の目に良いと思われる事は喜んで受け入れていきますけれども、自分の目に嫌なことは、「何故神様はこんな事をしたのだ!」とそこに神様を認めないことがあるのですが、「嫌な事柄の中にも神様を認めていく者」になりたいのであります。

この、いやな出来事を通して神様に、『何を語っているのですか?何を教えているのですか?』とへり下っていく者とされたいのであります。その時に神様は悟りを与え、行くべき道を教えて下さるのであります。

私達は自分たちの目に良いと思える事ばかりではなく、そうでない事柄にも主を認めるてそこにおられる主を見て、歩む。その時に神様は道を真っ直ぐにしてくださる。具体的には色々な問題が起こり、「どうしよう、どうしよう!!」と思い、自分の考えだけで行動してしまうかもしれませんが、その時にまず、『主よ導いてください。今この問題をあなたに委ねます』と祈る事が必要なのではないでしょうか。

「あなた方の問題を一切神に委ねなさい。神があなたがたの事を心配してくださるからです」ペテロ5章7節

と神様は言って下さっています。私達の問題、悩み、苦しみ、それらを主に委ねる時、主はそこに真っ直ぐな道を備えてくださるのです。困難や苦しみの中でもなお主を思い、御手に委ねていく。その時に私達はいつしか自分の道が真っ直ぐに、真っ直ぐに整っていく事に気付くのではないでしょうか?

私達は一つ一つの出来事の中に神を認めて、その全てを働かせて益として働かせてくださる神様を信じて、委ねて祝福に預かっていく者にされていきたいと思います。