1999年11月28日 日曜礼拝メッセージ
新約聖書ガラテヤ人への手紙4章4〜7節
牧師 吉田耕三
今年もいよいよ「アドベント」、待降節といいますが、神様のご降誕をお祝いする時期に入って参りました。私はこのとき、これをお読みになっているみなさんに、「クリスマスを迎える心」というものを養っていただきたいなと思うのです。
クリスマスって?
クリスマスというのは世界の中で最も知られている教会の事柄であります。一般的にはクリスマスは飲んで騒いで過ごすと思われています。クリスマスの本当に意味を判っていない人達も多いようです。でも果たして私達クリスチャンは判っているのでしょうか?
私達もクリスマスというと色々な準備をします。特に教会ではクリスマスは唯一教会が公に大きな声を上げて福音を伝え、多くの方に教会に来てもらおうとします。
さて果たして、人にお伝えはしましたが、本当にクリスマスを自分自身が喜び感謝していたかというとどうでしょう?もしかすると、行事に追いたてられていて、肝心要のクリスマスを喜ぶという心がもしかすると小さくなっていたかもしれない。判っているようでありながら、尚、本当の意味を正しく受け取っていく者になりましょう。
2000年前の出来事——救い主の誕生
聖書が語るクリスマスの意義、ともすると私達は「自分自身の救い」、小さな事ではありませんが、そこに限定してしまう危険性があるのではないかと思うのであります。イエス・キリストは私達に励ましと慰めとなるような御言葉をたくさん語って下さっていますから、私の個人的な救い主という側面が強調されてくる訳であります。
けれどもこのお方はそこだけに留まるようなお方ではないということです。もっともっと計り知れない、遠大な、宇宙大の広がりの中にある出来事がクリスマスだという事なのです。このクリスマスというのは、宇宙全体における救いの御業が起こったという出来事なのです。
この4節には『しかし定めの時が来たので』とあります。別訳では『時の満ちるに及んで』という風に書いてあります。ニュアンスとしては、別訳の方が雰囲気を感じるのでありますが、『時の満ちるに及んで』神様の遠大なご計画が時の満ちるに及んでついにこの地に現われた。それが救いの御業、「クリスマス」だという事なのです。
「それは彼等の目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」使徒26章18節
イエス・キリストがこの世に来たのは、私達が闇の世界から光の世界に移される、今いる世界が変わると言う事です。罪によって汚れてしまった世から罪が赦された、清き光の世界に移るされる為の業がキリストの誕生クリスマスということであります。それは永遠の御国、罪なき世界、赦しと恵みの祝福の世界が罪に汚れたこの闇の世界に入り込んできた。そして私達がその中にあずかれるようにして下さり、天国の命、神の命を頂く事が出来るようにして下さった。これがクリスマスの意味だと語っているのですね。
イエス・キリストの中には正しく、永遠の神の支配、神の御業、神の恵みが満ち満ちている訳で有ります。私達もこのキリストを受け入れる事により、神の恵みの一員とされるのです。闇の中ではなく、光の中に私達が入れられる、これこそがキリストが備えて下さった救いだというのであります。だからこそ私達はそれから後、永遠の恵みと祝福の世界にずっとずっと歩んでいく事が出来る訳なのです。
私達はこの豊かな恵みに益々あずかっていき、遂には永遠の天の御国に生きる事が出来る者とされていく訳であります。
光の世界とはまさしく天の御国に通じる道であります。そして神様は私達をその様な光の世界に移す道を備えて下さった。これが「クリスマス」なのです。そしてこのキリストを信じるときに私達もこの光の中に入れられていくのです。ですから、これは私達だけに留まるのではない、地球だけに留まるのではない、全宇宙的な広がりの神の支配、神の光がこの地にやってくるという事なのです。私達は素晴らしい恵みの世界に導かれているのだという事を覚えて頂きたいのです。
キリストにより神の子供とされる恵み
「これは律法の下にあるものを贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」ガラテヤ4章5節
イエス・キリストを信じた皆さんはもう罪の赦しを得ているのですよ。これから得るのではなく、もう得ているのですが、本当にその事を信じていますか?貴方は既に神の子供になっているのです。クリスマスを迎えるにあたって、是非、皆さんが闇の世界ではなくて光の世界に移され、神の子供とされ、罪の赦しを得ているんだという事実をしっかりと受け取って頂きたいと心から願うのであります。
私達は神様を信じたといってもまだまだ奴隷状態の様な信仰生活を送っている人が多いのではないでしょうか?
いつも何かに縛られていて、臆病で、怖がっていつも人の目を気にしたり、神様の目をそれと同じ様に気にしたりして、おどおどとした生き方になってしまっている事はないでしょうか。あなたは既に罪の赦しが得られ、神の子供となってどうどうとして歩む事が出来るのです。
神に求める—御霊の業(みたまのわざ)
神様は子供の様にあなたに聞き、守って下さっているのです。あなたに必要なものがあれば大胆に求めたらよいのです。よく『苦しい時の神頼み』と悪い言葉としていいますが、神様は苦しくてもなんでも私達がその様に求めてくる事を望んでいらっしゃるのです。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」ルカによる福音書11章9〜10節
別の箇所では『あなたがたが与えられないのは、あなた方が求めないからだ』と言っているのです。「足らない、足らない」と言っていないでもっともっと大胆に求めたらいいのです。私達は遠慮がちでいくら神様でもそこまではしてくれないのではないかと思ってしまうのですね。
神様は『求めなさい』と言っているんです。神様の子供とされているのですから他の人に求めるのではなくて、神様に求めたほうが良いではありませんか。私達は神の子供とされているという意識をしっかりと持って頂きたいのです。
もしまだイエス・キリストを信じていないという方がおられますなら、是非一刻も早くこの方を罪を赦してくださるお方、救い主として信じる事をお薦めしたいと思います。そしてこの光の世界に是非とも入っていただきたい。神様はこうしてイエス・キリストを信じた、イエス・キリストにより十字架の救いを信じた者に御子の御霊を遣わしてくださったと書いてあるのです。
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊をうけたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし、子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受け入れるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」ローマ8章14〜17節
御霊を受けた者は御霊に導かれるという経験をし始めるということなのです。私達に必要なのはこの様にして神様の導きを頂く、神様によって歩みを導いて頂くことが大事だという事です。それこそが私達が闇の世界から光の世界へ移された者の特徴です。それは特別な人ではない、誰にでも神様はそのような恵みを下っている。
しかし私達が「自分自身が本当に神の子供とされているんだ。自分の中にも神の御霊が注がれているだ。神の相続人とされているんだ!」という事を受け取っていなければ、その様な経験をする事は少ないのではないかなと思うのであります。
「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちのすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことありましょう。」ローマ8章31〜32節
イエス・キリストは私達の為に命を捨てて下ったのです。私達を愛してくださっているからです。命さえ与えてくださるお方がどうしてあなたの全ての必要に応えてくださらない事がありましょうか。あなたは神の子供とされ、あなたの内には神の御霊が宿っている。神様はあなたを闇の世界から光の世界へ移し、その光の世界でいよいよ天の御国に向かっていく者として招いてくださるのです。また逆戻りして奴隷の様な生活、人の目を恐れて、他人を恐れて歩むのではない、本当に神様の愛と恵みをしっかりと頂いて、喜びを持って、感謝を持って神に向って歩んでいくお互いとされていきたいと思います。
神様はクリスマスにその様な道に入る術を備えて下さったのであります。イエス・キリストがこの地上に来られたという事は神の支配、神の国がこの闇の世界に入りこんでくださった。そして私達が手の届くところに、私達が入りこむ事が出来るように来てくださったということなのです。私達に必要な事は
「イエス様、私も光の中に歩みたい、あなたと共に歩みたい」と心から申し上げれば良いのです。そして「私をどうぞ導いてください」と心を開いてお迎えする。その時に主は私達をも取り囲んでそして前へ前へと進んでくださりいます。私達はしっかりとそこに歩みを重ねて行く者となりたいのであります。また「その様な素晴らしい恵みがこのクリスマスに備えられた、遠大な救いの中に私達も進んでいこう!」そんな想いを、クリスマスのアドベント第1週に持っていただければと思います。