「エジプトへの旅立ち」

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2000年3月19日 日曜礼拝メッセージ
創世記46章1〜34節
メッセンジャー
牧師 吉田耕三

本日は間もなく4月に入る、という時期でもあります。ある方にとっては、新しい進路を迎える時でもあったり、あるいは今までの歩みに一つのケリをつける時であったり、色々な変化の多い時ではないかなと思います。その様な中で私達は神様の導き、神様の御心を知る事が出来たらどんなに幸いかなと思うのであります。

神の前に出る

前回までで学びましたように、飢饉によってカナンの地には食べる物が無くなってしまいました。そしてエジプトの地に子供達が食糧を買いに行きますと、スパイ扱いされて、息子の一人シメオンが捕らえられてしまった訳です。そして「もしもう一度来る時には、末の弟を連れてこなければだめだ」と言うのです。ヤコブにとって、末子ベニヤミンはかけがえのない子供でありました。ですからその子供を手放すという事は彼には絶対に出来ない事でありましたが、『わたしも失う時には、失うのだ』という決断と覚悟をします。そして彼は、一番始めに失ったと思われていたヨセフ、そしてシメオン、果ては失うことを覚悟したベニヤミン全ての息子を返されるという驚くべき恵みにあずかった訳です。もう二度と会う事は出来ないと思っていたヨセフがエジプトの地を治めている。本当に考えても、いくら聞いても信じられない。でも目の前に見せられた車や贈り物を見る時に、現実の事であるとヤコブは驚き、一刻も早くエジプトに旅だったと思われます。彼等は、ベエル・シェバという所に来ました。ここはヤコブの祖父にして「信仰の父」と呼ばれたアブラハム、そして父イサクにとって、非常に思い出のある、また神様との深い関わりをもった場所でありました。さてここまで来た時に、ヤコブに「私は本当にこのまま、エジプトに言って良いのであろうか?」と迷いが出てきた様です。皆さんは、色々な迷いが出た時にどの様にしますか?迷いを吹き消す為に、色々理屈をつけて、考えるでしょうか?そういう事も悪くはないと思います。しかし一番良いのはその時に、"神の前に出る"という事ではないかなと思うのであります。神様の前に出て、神の前に問うわけですね、祈る訳ですね。「本当にこれで良いのでしょうか?」と。

神の御心と確信

「主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には。主よ。御名のために、私の咎をお赦しください。大きな咎を。主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」詩篇25編8〜12節神様は主を恐れる人であるならば、誰にでもその行くべき道を教えて下さるという事で有ります。私達は確信を持っているのと持っていないのでは随分と違うと思うのです。確信を持つ時に私達は非常に強くなるのです。神様は私達に、行くべき道を教え、その確信を下さる。でも求めなければ、それは与えられないのではないかと思うのです。何時でも、何でもはっきりとするかというとそれは分かりませんけれども、特に大切な事については、是非神様に求めて、神様からの確信を頂く事をお勧めしたいと思います。「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから、「これが道だ。これに歩め。」ということばを聞く。」イザヤ書30章21節自分の中で「神様がこれを良しとして下さっているのだな」という心の平安という形でそれぞれの内にその思いが確立されていくと思います。そして実際に、そこに道が開かれていく。いくら御心だと思っても、道が開かれていかないのであれば、それは御心ではないのですね。

神に立ち返る

「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかしあなたがたは、これを望まなかった。」イザヤ書30章15節もし皆さんが不安になったり、迷った時にこの御言葉を思い出して下さったらと思います。「神様に立ち返って」皆さんが、不安に思っている時、それは大体神様から離れているのです。ですから"神様に立ち返って"という事であります。
「静かにすれば」慌しく、言ったり、やったりしないのです。静まるまで何もせずにいるのです。「落ち着いて、信頼する」神様に委ねる。その結果として「あなたがたは力を得る」のです。様々な時にこの御言葉を是非思い出して下さったらと思うのであります。神様の前で静まった時に神様はヤコブに触れて下さった訳であります。ヤコブの霊的子孫である皆さんにも語りかけてくださるのであります。苦しみの時、悲しみの時に神様の前に静まって下さい。聖書の言葉では、神様は「細き声をもって」(第I列王記19章12節)語るといっています。皆さんの心に触れてくださり、語ってくださる。そして不思議に心が平安になってくる。今までの荒々しかった心が、静かな波の様に落ち着いてくる。そんな経験をきっとするのではないかと思います。神様に求めて頂きたいと思います。

遣わされる地で祝福を与える

ヤコブも不安だったのです。だからこそ、神様は『エジプトに下る事を恐れてはならない。私はそこであなたを大いなる国民にするから』と語り、「エジプトの地に行く事は御心(みこころ)から外れる事ではなく、むしろ神様の御業(みわざ)が前進するのである」という事を語られました。

今エジプトに行くのも、「神様が一緒だ、何があったとしても、神様が一緒だ!!」という、この確信があれば、怖くはないのではないでしょうか?今皆さんがどの様な所に立っているか分かりませんが、そこにあって自らの立っている所にしっかりとした確信を持つ事、持たせていただく事をお勧めしたいのですね。

もし今、「本当に今の私で良いのであろうか?ここで良いのであろうか?」あるいは、ここに新しい道に進もうとする時に、不安であるならば、是非祈って頂きたい。『主よ』と言って主の前に出て頂きたい。そして確信が与えられるまで、祈っていただきたい。しかし言うならば、今皆さんの置かれている場所は神様のみこころによるのです。ご存知でしょうか?神様はきっと皆さんに語って下さってます。先は分かりません。これからは、「この様にしなさい」と語ってくださるかもしれませんが、今ある所。それは主によって遣わされた所です。その信仰をしっかりと持って頂けたらなと思います。私達はそれぞれ遣わされる所に神はおられて、そこで私達を守って下さるのだという事。時には自分では「こんな環境でなければ……」と思う方もいるかもしれませんが、実はそこが皆様にとって良き訓練の場であるという事を知ってい頂きたいのでありますね。皆さんの今置かれている情況がどの様なものか、人それぞれだと思いますが、そこで神様は皆さんを本当に良き者にしようして下さっているのです。私達を養って下さるのです。「私があなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがの繁栄となるのだから。」エレミヤ書29章7節その場所であなたはそこの祝福を祈れというのです。あなたはその場所で祝福の基となるというのです。ヤコブの場合はそれは"エジプトの地"でした。本来は誘惑の地、呪いの地と思われるその場所において、イスラエル民族は祝福の基としての民の形成がどんどんと進められていったのであります。神様はみなさんも同じ様にして祝福して下さろうとしています。あなたが遣わされているその場所であなたを祝福しようとされている。あなたに必要な事はまわりの人々の祝福を祈り、その方々に主に仕えるように心をつくして仕えていく。例え皆さんがどの様な環境、状況にあったとしても、その時に神様はあなたを祝福の基として生かして下さり、用いて下さるのです。

あなたは自分が立っている所に平安と確信を持っていますか?神様があなたをそこに遣わしていると本当に信じて受け取っておられるでしょうか?もし不安があるならヤコブの様に祈ってはいかがでしょうか?そして「確信を下さい」と祈ってはいかがでしょうか?それぞれが不安があるなら、迷いがあるなら神様の前に是非真剣祈り、確信を頂けるまで祈り続けて頂きたいと思います。

そして皆さんが確信を頂く時に、大胆に歩んで行く事が出来るのです。是非このように祈り、求めていただきたい。同時に今皆さんが遣わされている環境がどういうものであれ、そこで神様は皆さんを最善に導こうとされている。その事を知っていただきたい。そこで皆さんはその場所で例え迫害されているとしても、周りの方々の祝福を祈る時に、神様は皆さんを祝福されるのであります。