「あなたの父と母を敬え」

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2000年5月14日 母の日礼拝メッセージ
申命記5章16節
メッセンジャー
牧師 吉田耕三

「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに、それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」申命記5章16節今日は「母の日」として、礼拝を捧げています。「母の日」が制定されてから、まだ百年足らずしかたっていません。

教会学校の教師をしていたアンナ・ジャービスさんという方が、子供達に「いつも私達の為に色々な事をしてくれるお母さんに何か喜ばれる事を考えましょう」といつも話していました。葬儀の時に娘さんがそのことを思い出して、いっぱいのカーネーションを捧げました。

するとそこに集った方々に非常な感動を与えたのです。それ以後1914年には、アメリカ議会で「母の日」が法制化され、その時以来アメリカでは5月第2日曜日を「母の日」としてお母さん達に日頃の感謝をする日となった訳です。

今では「母の日」は全世界で祝われています。さて今日は「母の日」に因んで、『あなたの父と母を敬え』、この御言葉から、暫く考えてみたいと思います。

母の愛

しばしば"母の愛"というのは、"神様の愛"に近いという方もおります。確かに驚くような、常識を超えた様な"母の愛"を多くの方が経験しておられるようです。例えば、ポンペイ遺跡(イタリア)の発掘調査で人々の涙をさそう遺体があったそうです。腕に赤ちゃんを抱えた母親が、そのままの姿でたたずみ、被災を受け、亡くなっていた。もしも、子供を捨てれば、何とか自分は助かったかもしれません。

これはロシアでの事ですが、革命の為に、食べる物も無く、歩く事も出来なくなった母親がどうしたかといいますと、ナイフで乳房に傷を付け、我が子が1日でも生き長らえる為に血をふくませていた、と言うことがあったそうです。

あるいは、妊娠中の女性が盲腸炎にかかってしまいました。手術の必要がある訳でありますが、麻酔が子供に悪いという事が分かると、子供に害が加わらないようにと、麻酔をしないまま、盲腸の手術を受けたのです。また、ある方は「イエス・キリストが私達を愛して下さったので、私達の為に命を捨てて下さった」この事が直ぐに分かった方がいらっしゃったのです。その方はお母さんが病弱な為に、自分をみごもった時に医者から「あなたの身体ではもたないから、子供は諦めなさい」と言われたそうなんです。しかしお母さんは「自分の命が取られても、何としても生みたい。」と言って、自分の命と引き換えに子供をこの世に産み落とした。ですから『神様が愛しているから、命を捨ててくれた』と言ったら直ぐに分かったんです。

父と母を敬え

皆さんのお母さんも、あんな事をしてくれた、こんな事をしてくれたという思い出があるのではないかと思います。そういう人にとっては、『あなたの父と母を敬え』という言葉はたやすいと思う言葉ではないかと思います。けれども、そういう親ばかりではないですね。最近の新聞をにぎわしているのはその反対の親が多いのではないかと思います。実の親から虐待やひどい仕打ちを受け続けた子供達にとって、「親を敬いなさい」というのはどう受け取っていけば良いんでしょうか。聖書の言葉は『それはあなたがしあわせになるためである』と書いてあります。親子関係が良くなかったら、私達はどうやって健全な人間関係を作ることが出来るでしょう。この世に生まれて始めて出来た人間関係が"親子関係"であります。そこにおいて良き関係が持てなければ、どうして他の人達と良い関係を築いていく事が出来るでしょうか。虐待等の様な事があるなら、健全な人間関係を築いていく事は不可能と言わざるを得ないかもしれません。しかし聖書は『あなたの父と母を敬え。そしてそれはあなたがしあわせになるためである』と語っているのです。「『あなたの父と母を敬え』。これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。」エペソ人への手紙6章2〜3節十戒を知っている方は「あれ?」と思うかもしれません。第一の戒めは、『わたしの他なにものも拝んではならない』のはずですが、このエペソの箇所のみことばは、「神に対して」ではなく、「人間に対して」の第一の戒めなのです。私達が普通考えるのは、『人を殺してならない』というのが、人間に与えられている一番大事な戒めだということです。しかし『人を殺してはならない』という前に、『あなたの父と母を敬え』と戒めているのです。これが私達が人間として生きる為の大切な土台なのだと言う事であります。そしてそれが"幸せになる為の土台"だと言うのであります。だとすれば、私達は何としても親子関係を正しい関係に築きなおしていかなければならない。先程も言いました様に、素晴らしい親を持った人はそれが出来るかもしれません。でもそうではない親を持った者にとってはどうしたら良いでしょうか?

傷は癒される

「しかし彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちへの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼への打ち傷によって、私たちは癒された。」イザヤ書53章5節私達は様々な"傷"というものを持っている訳であります。けれどもイエス・キリストの十字架は、私達の心の傷を癒すと語っているのです。更に私達の上に罪の呵責があるならば、この十字架が、私達をそこから解放してくれるとも書いてあるのです。イエス・キリストの十字架は私達の罪を赦すだけではない、私達の心の傷をも癒して下さる。そうして私達が「父と母を敬う」事が出来る様にして下さるのだと語っているのであります。もし皆さんの中にどうしても「父と母を敬う」事が出来ないという心があるならば、あなたの心にその傷があるならば、その傷をこの神様によって癒して頂く事。それがあなたのこれからの生涯の幸せと不幸せを分ける大切なターニングポイントになっているということを知って頂きたいのであります。では具体的にはどうしたら親に対する傷を癒して頂く事が出来るのでしょうか?「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべてに考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4章6〜7節あなたの"心の痛み"を、"心の傷"を、正直に神様に申し上げなさいという事であります。『あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。』ヤコブの手紙4章2節と書いてあります。神様は私達の心の傷を癒すことが出来るのです。その為の十字架が既に成されたのです。あなたの正直な気持ちを神様は分かって下さいます。私達は神様によって心の傷を、痛みを癒していただく事が出来る。その痛みが消えていく時に、心が大きく変えられていくのです。私達は傷が癒される時に、良きものに目が向けられていくようになっていくのです。私は良き事に目を向けていく時に感謝が出来るようになっていくのではないでしょうか。あなたの心の傷をもう一度神様の前に出していきましょう。私達は、人の悪い所を見ては、決してその人を敬ったり、尊敬は出来ないです。まずいと思う人でも良き所がある。その良い所を見ていく時に、段々とその良き所が広がっていくのです。そして私達は感謝の心を持つ者になっていきたいと思います。コロサイ3章15節キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。コロサイ3章13節互いに忍びあい、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。主はあなたを赦してくださっています。私達も赦された者として、親の様々な弱さを赦して、感謝の心を持つ者にならせて頂こうではありませんか。『父と母を敬え』という大切な御言葉を実践する者にさせて頂きたいものです。「あなたの神、主が与えられようとしておられる地で、しあわせになるためである」と神様は約束して下さっています。皆さんの内に親を敬う心があるでしょうか?もしあるなら幸いですね。そうさせて下さった親に心から感謝を捧げていく必要があり、またその様にさせて下さった神様に感謝をする必要がありますね。もしそうでないならばあなたのその心が変わる事が出来ることを知って下さい。まず神様の前に正直に自分の傷を、痛みを告白して下さい。きっとその傷が癒え、癒えると共に親の良き所が見えてくる。そして親を敬う事が出来るようになっていく時に他の人との関係もスムーズになり、また感謝の心が持てる人に変わってくるように思います。同じ恵みを頂きながらも、感謝に溢れる人と不平とつぶやきにあふれる人。今どちらの道に歩んでいくか?感謝に溢れ、神様が「幸せになる」と言われる道に進んでいきましょう。