「信じきる者の幸い」

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2000年5月21日 日曜礼拝メッセージ
ルカの福音書1章26〜45節
メッセンジャー
牧師 吉田耕三

今の時代は何が本物か見分けがつかないような時代になってしまっています。しかしながら聖書の教えは、確かで真実な、人間の思いや考えを超えた長い歴史の中で語って下さっています。今日はこの事をしっかりと覚えて頂きたいのであります。

『神の言葉』を受け取る

神様はイエス・キリスト(救い主)をこの世に送られる前に、預言者を送る事を語っていました。その人物が"バプテスマのヨハネ"です。父親であるザカリヤが神殿で天使に会った。既に子供が生まれる年齢ではない彼等夫婦にも関わらず、預言どおり子供が宿った。そして"バプテスマのヨハネ"が生まれるという出来事が記されている訳であります。さてこれに引き続き今度はマリヤに対する神の業が始まります。「『ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。』そこでマリヤは御使いに言った。『どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。』」31〜34節マリヤは御使いから預言を聞くのです。自分と全く縁遠い話が次々と話される訳です。とりわけびっくりする事には「お腹に赤ちゃんが宿る」というんです。ですから彼女は『どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。』とこの質問が出てくる。その後にマリヤの言った言葉をみてみましょう。「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞあなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。』」38節これは何気ない言葉の様に思えますが、皆さんなら何と答えるでしょうか?「何か難しい問題に巻き込まれそうだな」とか、結婚もしていないで赤ちゃんが宿るのは困ってしまうと思いませんか。本来なら逃げてしまうと思うのですが、ここにマリヤの素晴らしさがあるのではないかと思うのです。様々な事があっても『神の言葉』、神がそう言われるなら、『どうぞこの身になりますように』これは本当に謙遜な姿ですね。神様は本当にそうして下さるに違いない。信仰を持って受けとめていく姿。素晴らしいと思うのです。

神の言葉を信じきる者

親類のエリサベツの懐妊に神様が関わっていると知ったマリヤは、彼女を訪ねます。そしてマリヤの挨拶を聞いたエリサベツの胎内で子供がおどったと記されています。エリサベツはマリヤを大声あげて祝福します。「そして大声をあげて言った。『あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもがよろこんでおどりました。主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、なんと幸いでしょう。』」43節—45節今日はこの中から2つの事を学ばせて頂きたいと思います。第1は、イエス・キリストの誕生に際しては、様々な出来事があった、ということであります。救い主(イエス・キリスト)を送る前に、預言者"バプテスマのヨハネ"を世に送る。またマリヤも特別な経験をし、子供を宿す。そしてまたエリサベツと出会った時にまたそこに特別な経験が起こる。

今の時代は混乱の時代です。私達は自分の信仰が、確かな基礎に立っている信仰だという事を知る必要がある、と思います。人間の考えや人間の計画では到底手に負えない何百年、何千年という計画の中でこのキリストの預言は徐々に徐々に成就し、今現在に到っている訳です。

イエス・キリストの誕生一つでも、それが間違いない事が分かる印を聖書は語っています。ですから私達はこの信仰が色々なものによって揺るがされるものではない、確かな信仰なのだという事を覚えたいのであります。私達はこの聖書の言葉一つ一つが、何百年、何千年という中で実現してきた事であり、証拠づけられてきた事であり、確かめられてきた事をもっともっと明確にしていきたいと思うのです。第2に今日のメインのテーマにした箇所であります。マリヤはこの時に大変な不安があったのです。婚約中の女性が子供を宿すならば、2000年前の当時であれば即刻死刑でありました。本当なら「どうしよう、どうしよう」と思い煩いがいっぱいになってしまうはずです。でもこの時の彼女は、神からの恵みに対する感謝をうたいます。本来なら思い煩いの虜になっているはずのマリヤは喜びと歓喜にあふれている姿が見られるのです。困難や苦しみがない事が私達の平安や充実した生き方が出来る秘訣ではないのです。困難や苦しみがあったとしても、それを乗り越えていくだけの確信と信仰がある時に、私達は、充実した中に歩んでいく事が出来ると教えて下さっている様に思うのです。マリヤは「神様が成さった事。神は必ずこの事を良きにして下さる」そう信じきっているから、彼女の内に不安がないのです。「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」ペテロの手紙第Ⅰ5章7節彼女は神様が成して下さると委ねているから、命までもが危うい不安にあっても、喜びに溢れて歩む事が出来たんです。何故ですか?神様は私達に関わる全ての事を益に変えて下さるからです。「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節私達に関わるどんな出来事をも神様はそれを益に変えて下さる。マリヤは、「神が語った言葉は、必ずその様になる」と信じきったんです。だから彼女には幸い、平安、喜び、力があった訳であります。私達に必要な事もまたこれだという事です。同じクリスチャンでも、あるクリスチャンは本当に喜びに満ちて歩む事が出来ます。何故ならばこの信仰にたって歩むからですね。神には出来るこれが私達が持たせて頂くべき信仰だという事を受け取っていきたいと思います。「そこでイエスはその信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そしてあなたがたは真理を知り、真理はあなたを自由にします。」ヨハネの福音書8章31〜32節御言葉を自分に結びつけるなら、『あなた方は主の弟子となり、真理を知り、真理はあなた方を自由にします』というのです。御言葉を自分にあてはめると私達は自由にされていくんです。この恵みにしっかりと与っていきたい。聖書の中にどれだけの約束があるでしょうね。たった一つの御言葉でもすごい力になります。この御言葉を自分に結びつけるか否かは皆さんの手の中にあるんです。疑う事をやめ、不信仰を捨てて、「信じます」という信仰にたちあがっていきましょう。神様はその時に、マリヤが喜び溢れて神様を賛美出来たように、例えどんな困難や試練があったとしても、私達を喜びで溢れさせる事が出来ます。神様はあなたのその暗闇の中に光と力をもって望んでくださり、栄光をきっと輝かせて下さるでしょう。この恵みに歩んでいきたいと思います。