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「苦しみの意味」

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2000年10月1日 フレンドシップサンデーメッセージ
ヤコブ1章2〜4節
牧師 吉田耕三

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときには、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」ヤコブ1章2〜4節

全てが益とされる

今日は、"苦しみ"等という様な事を言わなくてもよいのにと思うかも知れません。しかし私達の人生は決して平坦なものではなく、色々な苦しみ、戦い、悩みがついてまわるというのが事実ではないかと思うのです。私達も多くの(何故?どうして?こんな事が起こるのか?)(神様がいるのなら何故この様な事が許されるのであろうか?)そんな事があるのではないでしょうか?私達はその時にそれをどの様に受けとっていくかが、その人の生き様に随分と変化をもたらすかと思うのです。試練の中でそれを私達がどう対処するか?今日の御言葉から、聖書は困難や苦しみに対してどう語っているかを見させて頂きたいと思います。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときには、それをこの上もない喜びと思いなさい。」2節

非常に驚く言葉が記されていると思います。でもこれが真理であり、私達を強め生かすものである事を是非知って頂けたらと思うのです。"我慢"はある消極的です。じっと我慢する。試練とか苦しみを耐え忍んだら素晴らしいではないですか。ところが聖書は"我慢"ではダメだというのです。それを"喜べ"と言っているのです。その理由が書いてあるのです。

「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」3〜4節

皆さん素晴らしい人になりたいですか?どこにその秘訣があるでしょうか。ここにです。本当に素晴らしい人間になりたいと思うなら、この御言葉をしっかりと心に刻み込んで頂くならば、その様な人間に変えて頂く事が出来るのです。今自分がどういう状況であれ、この御言葉に耳を傾けて頂きたいと思います。

『信仰がためされると忍耐が生じるのをあなたがたは知っているからです』

これは"我慢"ではないのです。時には"我慢"し続けて疲れてしまうかもしれませんね。でもそうではなくて、それを積極的に豊かなものにさせて頂く秘訣がこの"信仰"というもの中にある事を知って頂きたい。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8章28節

神様は全ての事、どんな事でも益にする事が出来る。良い事にする事ができるというのです。それは全ての人の為ですか?残念ながらそうは書いていないのです。『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画によって召された人たち』と注があります。聖書の神様というのは、直ぐにえこひいきをするという方もいるかもしれません。

これは"信仰""神の力"というのは、信じる中に働くからなのです。神様の力を受け取る受容体、そこにつながる"信仰"という中で働くという事なのです。皆さんが神様を認めて、本当に全ての事を働かせて益として下さると信じるならば、本当にその力が働き始めるのです。『賛美の力』という本があるのですが、兎に角何でも良いから感謝しなさいという事が書いてあるのです。「感情で感謝しなさいと言っても出来ませんが、でも神様なら嫌な事を良い事に変えることが出来るのならば、そうして下さい。そしてそれを信じる印として感謝する」という事です。そうするとその力が働き始めるのです。

私も少しづつ感謝し始めてみました。これが私にとって信仰生活の中で大きな転機になったのです。自分の嫌な事を感謝する。そうすると暗い事も長引かないんです。私はどちらかというと、直ぐに落ち込んで暗い所を長く長く歩む様な人間であったのですけれども、「全ての事について感謝します。あなたはこれを益にして下さいますから感謝します」と祈ると変わって来たのであります。

神様は私達が信仰を働かせると、出会う全ての事を本当に良い事に変えて下さる。ただ私達が神様を否定しているだけならば、我慢するしかないのです。しかし神様を受けとめるならば、「神は益にしてくれると信じる事が出来ます」。何故ならば神様がそう約束して下さっているからであります。そして益にして下さると信じるならば、あなたの内にもその事が起こり始める。

そしてその事をもし皆さんが何度も何度も体験していくならば、様々な事が起こっても(神様は必ずこれを良い事に変えて下さる)と落ち着いてそれを受けとめる事が出来ると思いませんか?人生には何が起こるか分かりません。でもその時に(いや、神様が益と変えて下さる)と信じる事ができるならば、私達の本当に力となる事が出来るのではないでしょうか。

神を信じる力

少し分かり難いかもしれませんが、天地を造られた神様は、私達を本当に愛して下さり、私達の為に一人子イエス・キリストを十字架につけ、私達が自分でどうすることも出来ない"罪"というものに、解決を与えた。自分では思っていないかも知れませんが、聖書では私達は「罪の奴隷」だと言っているのです。「人を妬む様に」と教えられた事がありますか。「人を嫉妬する様に」と教えられた事がありますか。そうしないほうが良いと分かっていながら、そうしてはいけないと教えられていながら、嫉妬や妬みを持たない人がいるでしょうか?人を憎むよりも許す方が、愛する方が良いのだと分かっていながら、許す事はなかなかむ難しいのではないでしょうか。自分の感情を、または自分の心をコントロールする事が出来ない。

聖書では、これを"罪に売られて奴隷"となってしまっているというのです。十字架によって自分で解決が出来ない問題をイエス・キリストが解決して下さった。ですからその方に任せる時に確かにそういう気持ちが消えていくのですね。"イエス・キリストの十字架"これは信じる者に働いて、私達の内を造り替え、勝利を与えることが出来るようにして下さったのです。その秘訣は"信じる"という事です。聖書の御言葉を信じる時に、神を信じる時に、神の約束を信じようという気持ちになるのです。

約束を信じ待ち望む、これが"忍耐"であると思います。これは良い事が起こる事を期待して待っている訳ですね。そしてそれがその人の人格を変えていくのです。皆様の出会う様々な苦しみの中で、神様を信じるという一歩を踏み出して下さい。そして『神はすべてのことを働かせて益としてくださる』この祝福を是非受けとって下さったらと思います。あなたの前に二つの道があります。色々な試練に出会うときに(あー嫌だ、嫌だ)と呪って人生を台無しにしてしまう道。あるいは反対にその出来事を「神が益として下さる」という約束をしっかりと受けとって、大きな祝福に与かっていく道。どちらの道を歩むでしょうか。あなた自身の決断です。

「それゆえ、主は、あなたがたを恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ちあがられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」イザヤ30章18節でも信じる力が無ければ力が注がれないのです。この神様を受けとって神の恵みに与かり、神様の愛を心でも身体でも分かるようにされていきたいと思います。

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