今日は、早朝4時30分に、第二次ボランティア隊が、関西及び広島に向けて旅立って行かれました。関西へは12時間、の道のりは1500km以上、20時間にもおよぶ長い道のりです。このような長い距離にもかかわらず駆けつけて下さった先生方や兄弟姉妹に、頭の下がる思いが致しました。
さて、残った仙台教会メンバーと中部チーム1名とは、これまで一度も行っていなかった、仙台より南の地域に物資を届けることに致しました。中でも名取市は、あのNHKが空撮映像で津波を同時中継した閖上海岸・荒浜地区があります。仙台からは車で30分程度と、それほど遠くはありません(それだけに私にはあの映像は衝撃であり、涙を禁じ得ないものでした)。目指したのは、保守バプテスト同盟・ニューライフ名取教会(大沼孝師)でした。教会訪問に先立って閖上地区を見て回りましたが、ここでも私たちは5~6メートル以上の津波の跡に出会いました。「布のようなものが塔に巻き付いている…?」と思って近づくと、実はその布はスチール製であることが分かって驚愕したり、コンクリートの防波堤が跡形もなく鉄骨ごと吹き飛ばされているのを見ると、戦慄を覚えました。もう一つ興味深かったことは、電柱や樹木がみな同じ方向を向いて倒れていることです。津波が来た方向がそれだったのでした。ただし、そのようにして廃墟となった海岸線から数km内陸に入ると、もうそこにはマクドナルドが営業しており、国道には車がバンバン走っています。そのような中で、ボウリング場が「ご遺体安置所」として利用されていました。そのギャップのあまりの激しさには、くらくらするほどでした。
そのような中で教会は一体どうなっているのだろう…と思いつつ訪問しましたが、幸い教会は津波到達点から数キロ離れた所にあり、会堂は全く無傷でした。KGK元主事のO先生が温かくお迎え下さり、学生主体の支援チーム一同、良き交わりを頂きました。物資は足りているとのことでした。確かに、まわりのスーパー等も普通に営業していました。先生によれば、最初の1週間ほどは、給水車の列に12時間並ぶなど、非常に厳しかったが、今はもうほとんど回復している、とのことでした。名取はガスの回復も早く、市内で不通となっているのはごく僅か、ということでした。折角物資を持ってきたのでどこか必要な所にと、その後避難所や教会を3箇所ほど回りましたが、避難所では足りている、との(予想通りの)お返事。教会はお留守でした。結局、この日はこの働きが始まって以来初めて、どこにも物資を降ろさずに帰って来ました。ただ、O先生との交わりを頂けたこと、また名取方面はほぼ物資は行き渡っているということが分かったことは、大きな収穫でした。 ちなみに、当教会のガスは依然として不通です。
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