来て下さった方:約140名
奉仕者:16名
今回は、宮城水産高校第二グラウンドに建設された、「仮設渡波第二団地」の集会所をお借りして、物資配布とコーヒーコーナーを行いました。今回は、名古屋および名古屋西福音自由教会から4名の兄弟たちが、マイクロバスに毛布と物資を満載して駆けつけて下さり、支援活動を助けて下さいました。また、遠くアメリカから、Sさんご夫妻が駆けつけ一緒にご奉仕下さいました。
仮設渡波第二団地は16棟の連棟型仮設住宅が建ち並び、全部で160世帯の被災者の方々が入居しておられます。12時近くになって集会所に到着すると、自治会長のHさんが出迎えて下さり、一緒に荷下ろしを手伝って下さいました。すでに100名近い方々が列を作っていて下さいました。幸い天気は非常に良かったため、並んでおられる方に寒い思いをさせずに済んだことは感謝でした。
今回はまた、モニカ・ブルッテル宣教師のご協力で、仮設住宅の集会所で、チラシやポスターなどを印刷するのに必要ということで、プリンターを献品させて頂きました。この場を借りて御礼致します。
ちょっとしたハプニングで、当初予定していた配布時間を繰り上げて、集会所を開けなければいけなくなったため大忙しでしたが、天気が良かったため外でビンゴゲームなどを行い、皆さん大いに盛り上がりました。そんな中で、私が出会った入居者の女性の方からお話を伺う機会がありました。近隣のM町で民宿を営んでおられた91歳のこの方は、津波で3人のご家族を亡くされました。お婿さんは、会社を見に行った先で津波に遭われ、50日後にやっと見つかったとのことでした。お孫さんも亡くされ、70代の娘さんとお二人で6月にやっと仮設住宅に入居できた、とのことでした。今いちばん困っていることは、病院に通う足がタクシーしかなく、7,000円もかかるということでした。被災者同士なので気軽に送迎を頼む訳にも行かず、タクシーを使うしかないとのことでした。90代となれば、病院も頻繁に利用されることでしょう。医療費もかさみ、家も流された中でのこの出費は、どれ程大きなものかと思わされます。行政の巡回車などが回って下されば良いのですが、この仮設にはそれもないようでした。70代の娘さんと二人きりの生活は、どれ程寂しく、また将来に不安を感じることでしょうか。涙を流されながら話すその姿には、ただただ祈るほかありませんでした。
それと同時に、「仮設住宅に入った方は満ち足りている」というような、誤った理解が世間一般に流れていることに危惧を覚えました。ひとりひとりの被災者の方々に実際に寄り添い、話を伺ってみるならば、そこには癒えぬ痛みがあり、不安があり、涙があります。全体からは見えなかったことが見えてきます。被災地支援に関しては、「森を見て木を見ず」ではいけないのだ、とつくづく思わされました。これからも、できる限り、この働きを続け行きたいと思います。
[門谷信愛希 記]
私たちが参加させて頂いた時の報告と写真とビデオをとても嬉しく拝見しました。
門谷先生のレポートを心より感謝します。ますますこの支援活動をおぼえてミネソタの友人たちと祈りを熱くしています。