洪水による悲しい出来事がテレビで報じられていました。86歳の夫妻の家が浸水し、夜中に目が覚めると、慌てて奥様は少し高いベッドの上に乗ろうとしましたが、あっという間に水深が2メートルになり、ベッドの上に立ってなお奥様の首まで水が来てしまったのです。足の不自由なご主人を一生懸命引き寄せようとしたのですが、ご主人は「長い間本当にお世話になったな!」という言葉を最後に沈んでいったのです。奥さんは悲しいけれどもその言葉で大変慰められたそうです。娘さんもテレビでそんな風に言ってくれた父親を誇らしいと感じたと言っていました。
私たちはいざという時どんな言葉が出てくるでしょうか。「何でこんな目に会うのか。酷い!」というような言葉でしょうか。それとも「お世話になりました。ありがとう」という感謝の言葉でしょうか。ホスピスで働いていた方が「人は生きてきたように死ぬのだ」と言っていました。私たちが普段どのように生きているか、これは大切なことではないかと思います。
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。(エペソ4:29)
私たちは普段どんな言葉を語っているでしょうか。今回は、いつでも優しい言葉、慰めたり励ましたりする言葉が語れるようになるための秘訣を聖書から学ばせて頂きたいと思います。
いつも喜ぶ秘訣
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
(Ⅰテサロニケ5:16~18)
最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。(ピリピ3:1)
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4)
私たちも、何も不幸がなく、楽しい事や嬉しい事、幸せな事ばかりだったら喜ぶ事ができると思います。しかし人生は山あり谷あり、辛い事も悲しい事もあります。むしろ喜べない事の方が多いのではないでしょうか。ですから、「いつも喜んでいる」ような生き方は不可能だと考えます。
しかし聖書は何度も何度も「喜びなさい」と語っているのです。これは、「いつも喜んでい」ることが可能だということを意味しているのではないでしょうか。そのような生き方の秘訣がここに記されているのです。
「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」でもそんなことは無理だと普通考えます。しかしここに「主にあって喜びなさい」とあります。ただ「喜びなさい」と言っているのではなく「キリスト・イエスにあって」と語っているのです。では、この「主にあって」とはどういう意味なのでしょうか。
これは「イエス・キリストが私たちにして下さった事を思い起こす時に」という意味です。あなたは今までに誰かから赦された経験がありますか。怒られて当然、拒否されて当然、自分がバッシングされて当然なのに、それを全部水に流して下さったという経験です。本当に自分が赦されている、受け入れられている、愛されていることを知った時に、私たちは喜ぶことができるのです。
私たちがどんな時でも平安に、どんな時でも喜んで、どんな時でも優しくなれる秘訣、それは「キリスト・イエスにあって、主にあって」ということをしっかり受け取った時なのです。それは、イエス様が私を本当に愛して下さり、私をそのままに赦して下さるために十字架にかかり、私の身代わりとして死んで下さった事を心から信じ受け取る時なのです。そしてこれからはこの方と共に歩むという決断をするのです。そうするといつの間にか、感謝や喜びが心の内側から出はじめ、嫌な事があっても「神様は私を愛して受け入れて赦して下さっているので大丈夫、感謝だなぁ」と思えるようになるのです。
いつも平安の中を歩む秘訣
では、私たちが困難や苦しみの中にいる時でさえも平安で生きられる秘訣は何でしょうか。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
(ピリピ4:6~7)
それは何も思い煩わないで感謝をもって捧げる祈りです。「私は永遠の命を頂いている。私は罪を赦され、恵みと祝福を受けることができる者とされている」。そのような事を感謝を持って神様に祈る時に、不思議なことに私たちの心は「すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれ」るのです。私たちの願い事、解決してほしい様々な自分の困難や苦しみを洗いざらい神様に申し上げてゆだねていく時、不思議な平安が私たちの心を覆い始めるのです
けれども神様に祈らない時、私たちは人に愚痴るのです。つぶやき、文句を言い、愚痴をこぼすのです。そしてその人の人生そのものを苦しく暗いものにしてしまうのです。
人にではなく、神様に愚痴るべきです。神様に「助けて下さい」と言うべきなのです。その時、不思議に心が平安になっていく経験をすると思います。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。…また、感謝の心を持つ人になりなさい。(コロサイ3:15)
平安な時には、私たちも良い優しい言葉を語っていると思いませんか。いろいろな問題があっても、素晴らしいアイディアが生まれたり、アドバイスをしたりすることができたりするのです。いざ自分の問題に対しても、落ち着いた反応ができるようになり、急な出来事で一喜一憂することも少なくなり、キリストの平和・平安が心の内に満たされていくのです。また、このような事をして下さる神様に感謝の思いが溢れ、まさに感謝を持って捧げる祈り願う心を持つようになるのです。
私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。それゆえ私の心は喜び、私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。…あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり、楽しみがあなたの右にとこしえにあります。(詩篇16:8~11)
いつも主を前にするとは、主イエス様を自分の前に置くという事です。悩みや苦しみを「自分で何とかしなくては」と思うのではなくて「イエス様、助けて下さい」と言って、その問題をイエス様に預けていくのです。その時、心は安らかになり喜びに満たされていくのです。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(Ⅰペテロ5:7)
私たちは普段神様を忘れ、神様を無視してしまうので、心がイライラしたり不安になってしまいがちになりますが、すべての問題を解決できるイエス様、神様に委ねる時、私たちの心に不思議な神の平安が宿るのです。ある人はこう言います。「水を飲みながら感謝せよ。息をしながら感謝せよ。太陽の光を下さる恵みに感謝せよ。土地が与えられている恵みに感謝せよ。死に至る罪から救われた恵みに感謝せよ。今まで命が与えられている恵みに感謝せよ。」感謝の生涯、喜びの生涯の秘訣は、いつも神様を見上げて歩むことです。そのような生涯に共に導かれたいものです。