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希望をもって歩むために

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新型コロナウィルス感染拡大防止のためシャロンの花のつどいを3ヶ月間開くことができませんでした。皆さんは、この自粛期間をどのように過ごしてこられたでしょうか。最近は東京を始めとして再感染が広がっているというニュースを聞いて心が落ち込んだりする事もあると思います。もし情況のみを見るなら「人生は嫌なことばかり。世の中も暗くなるばかり。何も良いことなどない」と考え、呟きや不平や文句ばかりが出て来て、心も暗くなっていくのではないかと思います。でも「人生捨てたものではない。確かに山あり谷ありではあるけれども、結構楽しいんものだ」という風に考えることができる人は、周りにも明るさを灯す人になっているのではないでしょうか。私たちは、物事をどう捉えていくか、考えていくかによりその人の人生そのものが変わっていくように思います。では、その秘訣とは何でしょうか?それは「希望を持って歩むこと」ということができると思います。

本日は、一人の方のことをご紹介しながら、希望を持つ生き方についてお話をさせて頂きます。

オーストラリア在住のニック・ブイチチさんは、現在38歳です。四肢欠損で生まれ、とても小さな左足以外は手足がありません。もし、皆さんにニックさんと同じ身体のお子さんが与えられたならどう考えるでしょうか。この子はどうやって生活していけばよいのか。一生誰かが助けなければ生きていくことができないではないか。果たして自分達が親としてこの子を育てていくことができるだろうか。考えれば考えるほど、心が暗くなっていくのではないかと思います。ニックさんのお母さんも、生まれたばかりのニックさんを見て打ちひしがれてしまったそうです。でも彼女は、祖父母の代から神様を信じる家庭で育ちました。気持ちが落ち着いてくると、「神様は、きっとこの子に計画を持っておられるはずだ」と思えるようになったそうです。

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている―主のことば―。それは、わざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。         (エレミヤ29:11)

ニックさんを見たら「苦しみしかないのではないか、不幸しかないのではないか」と考えるのが普通だと思います。でもご両親はいつも「神様はあなたに特別な計画を持ってこの世に生み出してくださったのだよ」と言い続けたそうです。目の前だけを見たならば絶望や暗闇ばかりで、希望など何もないのですが、聖書を見ると「希望がある、将来がある」と言っていることに気づき、そこに立ってみようと決断したのです。そのことを息子にも語り続けました。するとニックさんも暗い感じではなく明るく育っていったのです。しかし学校に行く時期になると、意地悪やいじめなども出てきて、傷つく言葉も投げられたそうです。どんなに神様のご計画がある、希望があると言われていても、素直に受け入れることができなくなってきて、こんな苦しい人生なら終わらせたいと思ったそうです。手足のない彼が自死できる方法は、お風呂場で溺死することでした。浴槽に水を張って身体を沈めたのです。でもその時ご両親や妹たちが自分の墓の前で、「こうしてあげたら良かった、あんなこともしてあげたなら良かった」と悔やみ、嘆き悲しんでいる場面が頭に浮かんだのだそうです。自分をこんなに愛し育ててくれた家族を悲しませたくはないと思い直し、死ぬことを思い止まったのです。その時から彼の生き方は少しずつ変化していきました。今までは、「なぜ自分はこんな身体に生まれたんだ。なんと不幸なのだ。悲しいことばかりだ」と自分の事しか考えられなかったのだけれども、自分をこんなに愛してくれる家族を悲しませたくはないと、自分中心の思いから少しずつ周りの人にも目を向けられるようになっていったのです。

四肢欠損ですが、足の指2本はあります。最初は何もできないと思っていた彼でしたが、「自分ができることはやってみよう。できないことは誰かに助けてもらえば良い」と考えるようになり、1つ1つ自分ができる事を増やしていきました。そしてほとんど何でも自分でできるようになり、今では全世界24ヶ国以上を回り、人々を励ます講演活動することができるようになったのです。

私たちは、心の持ちようで、随分変えられるのです。「世界はコロナウィルスが蔓延しているし、いつ自然災害が起こるかわからない。将来は暗く悲しく何も良いことはない…」ただそのように考えたなら不安と恐れで一杯になってしまいます。でも私たちが神様の言葉に立ってみようとするならば、少しずつ希望を持って歩むことができるのです。大事な事は「自分には明るくは見えないけれども、神様は私に対して素晴らしい計画を持っておられる」との約束を受け取るのです。そしてニックさんがそのように思えたのは、自分を愛している家族と神様がいることを信じたからでもあるのです。

わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。               (イザヤ43:4)

ここで言う「わたし」とは神様のことです。そして神様から見て、私たちは高価で尊い存在なのです。私たちにはできない事が一杯ありますし、様々な酷い事もする者です。でも神様は私たちのそのような弱さ知りながらなお、「高価で尊い」と言って下さっているのです。「わたしは人をあなたの代わりにし」とも書かれています。イエス・キリストはあなたの代わりに十字架にかかり、あなたの罪の汚れは全て十字架で聖められたと語って下さっているのです。私たちはこの積極的な言葉を受け入れ、こんな私でも愛される存在だと受け取っていくなら、私達の心は段々と元気になっていくのです。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことをともに働いて益となることを、私たちは知っています。             (ローマ8:28)

ニックさんは自分が世界的なメッセンジャーになるなどとは考えもしませんでした。でもハンディキャップを持っていたからこそ、今や多くの人々に感動を与え、生きる力を与える人物になれたのです。本当に神様はすべてのことを働かせて益として下さったのです。そして、最後に、もう1つ

すべての事において、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。                           (Ⅰテサロニケ5:18)

私たちは、多くの感謝すべき事を与えられていながら、感謝していないという面が多いと思います。あの事も、この事も、親にも家族にも友人にも、たくさんの感謝するべき事があるのに、実際には全く感謝していないという事があるのです。ニックさんも以前は自分だけが悲しいという思いに生きていました。しかし自分に与えられている事柄に気づき、それを数え始めた時に心が上向きになっていったのです。私たちもたくさんの感謝するべき事があると思います。

でも聖書は感謝できる事柄だけを感謝するのではなく、『すべての事』とさえ言っているのです。すなわち自分の目には「なぜこんな事が」と思える事柄さえも感謝してごらんなさい。と!

もし皆さんもすべての事を感謝してみようと心が定まるならば、ニック・ブイチチさんが新しい道に向かい始めたような、新しい希望を持つ生き方があなたの心にも起きてくると思います。問題は私達の心構え、考え方が自己中心のまま歩むのか、それとも神の言葉に向かうのかという事なのです。

神様は私たちに祈りなさいと言ってくださっています。そして究極の幸せである永遠の御国を備えているとも記しているのです。「天国とはどんな素晴らしい場所なのだろうか?」と考えるだけで、今までとは違うもっと積極的な前に向かう生き方が開かれていくのではないかと思います。

ニックさんのような体でも前向きの人生を歩めることができたのであるならば、私にもできるはずと考えても良いのではないでしょうか。その為にはあなたの人生の中に、心の中にあなたを愛して下さる神様を迎える事です。その時に、いつしか皆さんの心も満たされて「私もこんな生き方ができるようになりました」と人にも話す事ができるほどになると思います。神様は私たちを愛し、私たちが幸せになることを願って下さっています。それは目先の小さな幸せではなく、本当の幸せなのです。

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