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「神の視点」

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1999年10月31日 日曜礼拝メッセージ
旧約聖書創世記36章1〜43節
牧師 吉田耕三

聖書の中には、色々な箇所があります。とても心に染み入る箇所もあれば、反対に「ここは何を言っているのか分からない。何故この様な箇所が聖書の中にあるのだろう?」という箇所もあるのです。今日の箇所は正にそういう箇所なのですが、しかしこのような箇所に来ても、読むときには「これは神の言葉である」と思って読んでいってくださったならば、と思います。思いがけない所から素晴らしいメッセージを頂くということが、よくあります。

エサウという人物

エサウという人は、どのような人であったかというと、アブラハムの息子のイサクの子供です。ヤコブとエサウは双子でした。彼らの性質は少し違いがあったようであります。

ヤコブは少しずる賢い部分も持っていたようでありますが、神様に対する真剣さというものを彼は持っていた。しかしエサウはそのような事には比較的無頓着で、神様という方をあまり真剣には考えなかったようです。本当に真実を求めていくのではなく、適当にごまかしてやり過ごしていくタイプの人間がこのエサウという人です。神様から本当に喜ばれるというよりは、神様から「これは?」と思われる人物であったようであります。

神の救いと救いを受ける人々

「神は、ひとりの人から全ての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界をお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見だすこともあるのです。確かに、神は私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。」使徒17章26〜27節

この箇所は、神様が、実は一見神を退けるような民に対しても、その人々を救おうとする事が神の御心、神の願いなのだという事を物語っているのです。また、

「主はある人たちがおそいとおもっているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」ペテロII

3章9節

とも語られています。聖書を読んでいますと、イスラエル人だけが特別に愛されていて、他の民は見捨てられているように見える箇所が、一見するとあるように思われます。しかし、ここのところから、エサウの様に、「神様から離れているような人物」にさえ、神様は目を留めておられるのだという事を思います。ですから、イスラエル人の為だけに救いがあるのではなく、神様の御心は最初から全世界の民が救いに入れられる事なのです。

選民の民イスラエルではありましたが、実際にはイスラエルは神に背いたのです。彼らもまた神様の憐れみを受けなければ、この救いを得ることが出来ないのであります。

また、異邦の民は神を信じなかったのですから、救いを受ける事は出来ないはずでありましたが、イエス・キリストを通して、全ての人にこの救いの業が成されたのです。神様は全世界の人が救いに導かれる事を望んでおられ、一人も滅びる事は神の御心ではないと、この事を知って下さい。

救いの成就——神の道へ

神様は救いの道を備えて、後を託していきました。何人もの預言者を遣わし、人々に神様に立ち返るように何度も何度も語りかけて下さった訳ですが、人々は全然立ち返る様子もない。最後には一人子であるイエス・キリストを遣わしてくださったにも関わらず、十字架につけて殺してしまった。本来は罪を犯し続けている私達自身が十字架につけられなければならないのに、一度も罪を犯した事がないイエス・キリストが私達の代わりに死んで下さった事によって、私達の全ての罪を背負って下さって、そして私達の罪を赦して下さるという、救いの御業をそこに成し遂げ、いまや誰もが救われる道を神様は備えてくださったのです。私達はここに神様の心というものをしっかりと受け止めていきたいと思うのです。

前述のエサウは神様の前に相応しい歩みをしなかった者です。神様に喜ばれる歩みよりも、神様から嫌われる歩みを色々やってきたのではないでしょうか?けれども、神様はそのエサウにも目を留めてくださった。ですから、神様は「私達にもきちんと目を留めてくださる」という事です。

そして、そればかりか、「私達が神様の元に立ち返ってくる事を本当に待っておられる」という事です。私達はこの様にして頂いた救いというものを、もう一度感謝したいと思います。そして、同時にこれは神の御心は全世界の人に注がれているという事を覚えていてください。

私達はこの人にはまだ必要ないのではないか?あの人には?と自分が切ってしまう様な人たちでも、神様がこの人を愛しておられる、神様が命をかけるほど愛しておられるという観点で見る事ができたら幸いだなと思うのです。

救いを受けた私達の使命

神様はあらゆる人に目を留めて、覚えていて下さるのです。私達もその事の為に、愛と涙をもって祈って神様の事をお伝えするべきではないでしょうか。本来は利益のない者ですけれども、しかし神様はそんな者をも用いてくださると聖書は語ってくださるのです。

私達は弱い者ではありますが、その弱さを弱いまま神様にお捧げするときに、神様は私達を用いてくださり、多くの方々が救いを知る者に変えられていくのです。

日本のクリスチャンの中では、毎週教会に集っている人というのは0.2%だそうです。こんなに素晴らしい救いの道を頂いているのですから、その事を秘密にしておいて良いのでしょうか?私達が召されたときに『どうして私に伝えてくれなかったのですか?』と言われたらどうしましょう?

私達が伝えるべき方が周りにいるのではないでしょうか?親族の中に、家族の中に、或いは隣人の中に、神様の救いを待っている方々がいるかもしれません。私達は素晴らしい神様をお伝えしていく者にされていきたいと思います。神様は全ての人に目を留めていてくださっている。私達の好き嫌いではなくて、神の目をもって人々を見る者に変えていただきたいと思います。

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