苦しみに出会うとき
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)
先日ある病院の待合室で、子供連れのお母さんに会いました。その人は何かイライラして、一番上の男の子にばかり辛くあたっています。その子がかわいそうになって思わず声をかけたくなりましたが、良く見るとそのお母さんは赤ちゃんを含めて3人の子供を連れていたのです。実はこの時、“大丈夫ですよ”と励ましの声をかけてもらう必要があったのは、誰よりもそのお母さんの方だったのです。
子育て・夫婦・経済・将来のこと、その他様々なストレスやプレッシャーの中でパニックに陥り、誰かが自分を助け、支えてくれなければ、自分は何をしてしまうか分からないと思える様な時が、あなたにもあるのではないでしょうか。そのような時、私達の対処の仕方にはいくつかの方法があります。一つはじっと我慢して、ただその嵐が過ぎるのを待つこと。二つ目は、ストレスを爆発させて発散すること。これは一時的にはスッキリしますが、周りの人に大きな迷惑をかけることになります。三つ目は、原因になるものから逃げること(例えば、いやな人の見えない所に行く)。この場合、不安や恐れはそのままずっと残ります。
しかし、一番良い対処の仕方は、そのストレス・苦しみ・困難を通して学習し、成長していくことです。人生はいつも上り坂とは限りません。年齢を重ねれば肉体的にも下り坂となり、苦しくなってしまうことも多くあります。しかし、日々の困難から学ぶことが出来れば、私達は生涯成長に成長を重ねることができるのです。
「忍耐」と「がまん」
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ1:2〜4)
時々、この人は本当に素晴らしいと思える人に出会うことがあります。そして良く話を聞いてみると、その方が色々な苦しみを通り、その中で練られ変えられてきたのだと分かってきます。確かに、試練や苦しみは私達にとって成長のチャンスです。私達が苦しみを乗り越える時、それが大きな祝福へと変わるのです。そうなるために必要なのは、“忍耐を完全に働かせる”ことだと、聖書は語ります。
では、忍耐とはなんでしょうか。忍耐と我慢は違います。我慢とは、ただ苦しみが過ぎ去るのを待つだけであり、結果的に消極的な、希望のない人生観となってしまいます。ここでいう忍耐とは、このこともいつか必ず良いことに変えられると信じて、今の苦しみを耐え忍び、待つことです。では、どうしたらこの忍耐を自分のものとすることが出来るのでしょうか。聖書は、忍耐は信仰から生まれるのだと語ります。
信仰とは何でしょうか・・・。例えば皆さんの知り合いに、この人なら絶対信頼出来る、必ず約束を守ってくれるという人がいたとします。ところがある時、期限が来たのにその人が約束通りにしてくれない、そんな時あなたはどうするでしょうか。「あの人はウソつきだ。」とすぐ思うかわりに、「あの人のことだ、きっと何かの事情で遅れたに違いない、必ず約束を果たしてくれる。」と期待して待つのではないでしょうか。これが信じること(信仰)です。
しかし残念なことに、人間はどんなに素晴らしい人であっても、時に約束を果たさなかったり、裏切ってしまうことがあるのも事実です。けれども、神様の約束・神様の言葉(聖書)は決して変わりません。神様はこのことも必ず良くして下さると信じて祈る時、神様は必ずそのようにして下さいます。苦しかった問題が解決されていく時が必ずきます。しかし、それは一日でおきるとは限りません。その間にも、苦しいこと、祈っても祈っても神様はちっとも答えてくれないように思える時もあるでしょう。それでもなお、良くして下さると信じて祈る、その中で私達のうちに忍耐が生まれ、これが私達を本当の意味で成長させてくれるのです。
神様の約束
聖書には神様からの約束の言葉がたくさんありますが、その中でも特に私達が苦しみに出会うとき助けとなる言葉をご紹介しましょう。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(第Iコリント10:13)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(第Iペテロ5:7)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)
聖書の神様は、この天地万物を創られたかたです。この神様に出来ないことは、何一つありません。しかもこの方が、一人子イエス・キリストさえも十字架にかけるほどにあなたを愛し、あなたのことを心配し、すべてを備えて良いことに変えてくださるというのです。この方を心にお迎えし、あなたの問題を神様にゆだねますと祈り、待ってください。もちろん、私達は始めからすぐにゆだねられるわけではありません。その時はまず、「ゆだねることが出来ません。助けてください。」と、ゆだねられないあなた自身を、そのまま神様の前に差し出してください。神様は、あなたがどのような人であっても、あなたのうちに忍耐を育て、苦しみを乗り越えるだけでなく、その中で成長していく人へと変えて下さるのです。